さすらいのハル、異論反論日記

ドラマや映画、漫画やニュースに言いたい放題言わせて頂きます。

スポンサーCMの方々にもひとこと。

       自分が「自閉症スペクトラム」という障害に片足を突っ込みかけた過去を持つことから、何かと発達障害がらみのCMを入れて頂いてるようですし、それで構わないのですが、それでも一言言わせてください。

       今日、友人が自分のお子さんが軽度の発達障害だと私に打ち明けてくれました。そのときの言葉が素晴らしかったんです。発達障害が有ろうと無かろうとハルちゃん(私)はハルちゃんだし、〇〇(お子さんの名前)は〇〇。お互いゆっくりマイペースで頑張ろう。

      所詮、発達障害なんてアメリカの精神科医がマニュアルに載っけたから、NHKとかが取り上げて先進的な精神科医もそういう診断をするようになった、ってことなんでしょう?私の前の主治医は超ベテランの優秀な先生ですが発達障害とは一言も言いませんでした。精神科医の皆さん、反論お待ちしています。

   10年教育に携わってきた、これからも携わるだろう一人として言わせてもらうと、親には現実を客観的に見て欲しいです。「うちの子、成績が一桁台ばかり。発達障害(学習障害)かどうか検査してもらおう。結果によっては特別な教育もしてもらって、今から高校などの進路もうちの子に合った(でもヤンキーの少ない)良い学校を探してみよう。」といった具合に。だから我が子の発達障害を受け入れ、上手くサポートしている友人は立派だと思います。

       親によっては「うちの子が障害なんてあり得ない!」と頑なになった結果、子供本人の気持ちや意思が見過ごされて高校受験になって現実に直面する、子供は友達と離れ離れの学校に進学せざるをえず、うまく適応できなければそこで辛い思いをする、という現場を見てきたので、これ以上被害者は増やしたくないのです。大人も子供も自覚と覚悟があればもう少しうまくいくのに。

      大切なことは以下の通り。「自分が何が得意で何が苦手か、進路はどうしようか、トラブルがおきたらどうする、不登校になりそうだったらどうする、クラスメートと上手くいかなかったらどうする、What now ? What is next ? 」これをその都度親子で一緒に考えて専門家の手も借りながら世の荒波を乗り越える。逆に「障害だからこれはできません、あれもできません」は多少考慮されるべきでしょう。でも、「発達障害なので周りとは別なように特別扱いしましょう、将来も楽しいことができるように取り計いますね。」という扱い方は間違っていると思うんです。発達障害だから将来社会でどんな配慮がされますか?発達障害の人に障害年金は支給されるんですか?「私は発達障害なので助けてください。」って市役所の障害課で申告すれば生活保護が受けられるんですか?答えはNOですよね?

子供のときだけ甘やかして大人になったら他の障害と違って、年金も出さず社会に放り出す。ハローワークに障害者枠があるのは知ってますが「好きなこと、楽しいことを活かす」仕事ばかりではないでしょう。今、チヤホヤして後で突き放されたら「発達障害詐欺」じゃないですか。

 

      私には運動ができないという致命的な欠点がありました。中学になったら運動部に入れない。文化部は二つだけ。そう考えた親は私をピアノ教室に入れて楽譜を徹底的に学ばせました。吹奏楽部に入れるためです。勉強は多少できることを見抜いた父は問題集を何冊も何冊も解かせ、答えを丸暗記するまで勉強させました。成績だけは飛躍的に伸びました。

       それでも人間関係はトラブルが多かったのですが、良い成績のおかげで教師を味方にできたり、近所の塾が居場所になったりしてなんとかしたんです、努力で。もう一度言います。全部努力で。

       だから何が言いたいのかというと、発達障害について知ることは大切ですが、それに安住して努力を怠るのは違う、ということです。勉強が苦手でスポーツが得意なら、スポーツ推薦入学目指して本気でスポーツすればいいじゃないですか。好きなことがあるなら全国レベルまで頑張ってタイトル獲ってみなさいよ。さかな君みたいに。メンタルに問題がある方々に漫画が好きな人は多いですが東村アキコさんの名作漫画「かくかくしかじか」レベルまで頑張ってます?確かに東村さんは漫画以前に頭が良くてストーリー作りが上手いから単純比較出来ないですが。

      適当にCMについてひとこと述べるつもりがひとことどころじゃ無くなってしまったので止めますが、ほとんどの人が努力しても当たって砕けるでしょうよ。それでも砕けてみろ!それが残酷だっていうのなら厚生労働省の皆さん、発達障害の人全員に障害年金を支給して安心できる将来を約束して下さい!それが私のひとことです。

   

      

 

12/13の逃げ恥に一言!改めて「搾取」ってなんだろう。

 あー面白かった!今日の逃げ恥。特に平匡さんのプロポーズ。平匡さんだって、リストラされたからみくりを専業主婦として無料で労働を搾取する気はないんだろうけど、結果的にそういう意図のプロポーズになっちゃったよね。それに対し「愛情の搾取に断固反対します!」と言い切ったみくりに世間が反対しようとも私は拍手を送りたい。

     改めて思うのは、みくりはやっぱり高学歴の「小賢しく」モノを考えられる女子だな、ということ。このブログの最初の頃、フェミニストの先生方やコラムニストたちがなぜこんな高学歴女子が専業主婦に甘んじるドラマを見て文句言わないんだろうと思って異論反論オブジェクションをしてみたけど、既に原作漫画にここまでのくだりが書いてあった訳だったのね。

       みくりが商店街のファーマーズマーケットの提案をして手助けするくだりも「やりがいの搾取です!」と市会議員モードで力説して横浜市最低賃金はもぎ取ったというエピソードが出てくるけど、確かにそういう発想はなあなあの日本人社会では出てこないもんな。この作品全体に「愛情とカネを天秤にかける」「愛と金はきっちり分ける」というテーマが一筋の道のようにきっちり敷かれているような気がするんだけど、私も今日は自分の仕事について考えさせられた。

       元々専業、兼業に関わらず主婦の報われない感じが大嫌いな私ですが、仕事に関しては完璧主義なところがあって、一人前に仕事できるまでは奴隷のような働き方でも無給でも仕方ないよなと思ってたんです。まさにブラック企業のいいカモですね。私、公務員でしたけど職場によっては土日がなくて年に330日くらい勤務してましたもん。(土日の賃金は時給600円くらい出た気はするけど、平日の業務時間外は公務員だから残業手当なんて出ません。) だからボランティアも修行のうち、と割り切ってましたが、みくりの「最低賃金」な考え方は天地がひっくり返るような発想でした。私も就職氷河期のロスジェネ世代ですが、さらに不景気なゆとり世代はここまでシビアになれるのかなあ。

      今も私、勉強を教える仕事についていますが時給1100円をもらうために5時間うちで予習することもザラです。生涯その予習が役に立ち次の時給に見合うならいいけど、最近は無理な仕事は受けないことにしました。本職である英語の教員一つモノにするまでに10年かかってますから、他のことを器用にこなせるわけない。数学や理科など全教科記憶に残っている大学生アルバイトにでも任せます。

     それと、今日の逃げ恥で心に引っかかったのは藤井隆さんの役の人の「家族は何かあったときのためにお互い補いあっているんだよね。」という趣旨の台詞。かといってリストラの話が出たときは皆平匡さんに押し付けて自分の保身ばかり考えているし、平匡さん本人が一番「仕方ない」と大人しく従うという彼らしいリアクション。少しは怒るとか叫ぶとか沼田を殴るとかしろよ!本当に典型的日本人だなこの人。で、少し心を許せるようになったみくりに頼ってしまうという愚行に出るから痛い目に遭うんだよ。みくりは合理的な欧米人体質だもの。優しい心で「平匡さん、私に任せて。家計も切り詰めてうまく切り盛りするからね。ゆっくり次の仕事を探してくれればいいからね。何なら私がパートに出るわ。」とかいうのかなと思わせておいて「愛情の搾取に反対!」って!!爆笑しました。最初のラブラブモードはここで裏切るための布石だったのかあ。家族がお互い補い合う話と聞くと例えば小島慶子さんが稼ぎ頭になってオーストラリアの家族を養う話とか、私の40代後半同僚男性で職場で社内いじめと顧客トラブルと鬱病のトリプルパンチで休職した人の奥さんがバリバリ働いて夫を養ってた話を思い出すんだけど、正直、言わせて貰いますね。これも愛情の搾取に思えてしまうんです。私には。うちの母が高学歴で頭が良くて自立している割に共働きは自分が一方的に損だから自分が遊ぶ分しか稼がないと決めた専業主婦だったせいかも。または私が「自閉症」の名が付く障害の末席に居座っているせいかもしれませんが、私が頑張るのは私のためで、人のために頑張るとすればそれは私が「マザーテレサになりたい」願望のせいか、私が「そうしたいから」のどちらかです。「そうしたい」の中には単に楽しそうだからも、「ペットなら可愛いから許す」だからも含まれる。普通の健康体の人も、来週のみくりさんも「そうしたい」=愛しているから無償で平匡さんと結婚してハッピーエンドなのかもしれないですけど。漫画もまだその辺は完結していないんですよね。だから来週はそれなりに楽しみですが今週のあのプロポーズとみくりの拒絶で私は十分満足です。楽しめました。バカップル誕生でめでたしめでたしの話にならなくてよかった…んですよ……ね?

        

のだめは発達障害だったのかー、やっぱりね。

http://korasophie.hatenablog.com/entry/asd

 

金スマ」のこの放送は見逃したけど、このブログで内容が分かりました。どうもありがとうございます。のだめはテレビドラマ放映時から部屋が汚いことと、楽譜が読めないことで何らかの障害だろう、とは言われてたことを記憶しています。でも自閉症スペクトラムというワードは当時見なかったような。私が「のだめカンタービレ」(ドラマ)で好きなシーンは以下の通り。

⑴学園祭で千秋がシュトレーゼマンとラフマニノフのピアノコンツェルトを演奏する。マングース姿ののだめは少し遅刻するがその演奏を食い入るように聴く。その直後「ピアノ、ピアノ、ピアノ弾かなきゃーーうっきゃあーーー」と叫びながら部屋に逃げ帰る。その後確か1週間くらいのだめは部屋に引きこもって、コンサートで記憶した音だけを頼りにラフマニノフのピアノ部分を何度も何度も弾きまくる。隣の部屋で風邪を引いていた千秋のもとに風呂に入っていないのだめが乱入。千秋は風呂と食事の世話をするが「先輩、私とラフマニノフ弾いてください…」というばかり。(千秋にとってのだめがご飯食べないのは異常事態) 千秋は学校の二台ピアノ室にのだめを連れて行き、のだめに「お前ピアノパートやれ、俺はオケのほうをやるから。」と言って自由に弾かせてみる。のだめの演奏は滅茶苦茶で始まったが千秋のサポート演奏で正気に戻ったのだめはピアノコンツェルトを完璧に弾きこなす。演奏後、白眼むいてピアノの鍵盤の上にぶっ倒れる。

(2) パリ留学編で、フランス語の全くできないのだめは、同じアパルトマンでオタク趣味の男子フランクと仲良くなる。といっても言葉が通じないので進展はなし。しかし、のだめはフランクの部屋に大好きな「プリごろ太」シリーズのアニメDVDフランス語版を発見して彼と一緒に仲良く鑑賞し始める。そのまま夜中までフランクの部屋に居座るのだめ。フランク「のだめ、もうぼく限界……」二人は男女の仲に!?と見せかけてるが、のだめは「プリごろ太」全シリーズのフランス語をノンストップ・驚異的な集中力で覚えていたのだ。既に日本で暗記するほど見ているアニメなので日本語➡︎フランス語への変換は完璧。翌朝、千秋を見つけて「夕飯は牛肉の煮込み(間違ってるかも)がいいデス」と流暢なフランス語で話しかけるのだめ。「お前結構やるな」とサディスト千秋をも感嘆させる、というシーン。

    

他にも幾つかありますが、のだめが何かに没頭しているとき千秋やハリセン先生が気持ちは優しく、でも容赦無くしごくシーンが好きです。二つとも自閉症スペクトラムっぽいエピソードですよね。「障害がある」からそれなりに表面的に優しく扱えばいいんでしょ、ではなく少なくとも自分のやりたい事を見つけたならば、また相手と信頼関係を築いていれば、お互い本音でどんどんぶつかればいいと思うんです。その方が親切なんじゃないだろうか。

   恋愛ドラマは数多くあれども女の子ののだめを平気で殴る(演出だけね)、楽譜ちゃんと読め!練習しろ!と怒鳴りつける千秋と、憧れが動機付けになって千秋に褒めて欲しい、一緒にヨーロッパに行きたい一心でピアノに打ち込むラブストーリーは、月9枠でも異質だけど素敵な話だと当時思ったものです。男性でも楽器経験者は楽しめたみたいでよく「昨日ののだめ面白かったですねー。」と話したのもいい思い出です。「ピアノと、自分と正面から向き合いなさい。」というシュトレーゼマンやフランス人のオクレール先生の言葉は「ピアノと」の部分を自分のことに置き換えると今でも名言です。

     

なんで、私が発達障害にこだわるかというと、一つは教育心理学、教育カウンセリングの勉強をした時期があったから、もう一つは自分が発達障害なのではないかと疑い精神科や発達障害センターを受診したからです。結果から言うとそうではなかったのですが、はっきりそうとは言えないグレーゾーンがあるそうです。スペクトラムという言葉も領域、範囲という意味ですから、私も濃淡でいうと「淡」のどこかにいるのかもしれません。先に挙げた好きなシーンは私が(このへん省略しますが不登校を経て) 大学受験をした時に似ています。特段優等生でもない、頭が良いわけでもない私ですが、信頼できる師匠と明確な目標、好きな文系三科目が揃った時点で先に述べた「のだめ状態」になり、ヨーロッパ留学はさすがにないですけど志望校全合格、夢だった東京通学が叶いました。

   金スマに出てきた栗原類君は英語バイリンガルなところは帰国子女だからだしイケメンだから許されるんだよ、とかピアニストの子も才能がたまたまあったからでしょ、で済まされそうな気はしています。でも、もし自分が駄目な奴で人とは違うし何か嫌だなと思ってたとして、でも何か一つは得意、なら、また勉強はそこそこできるのなら、努力しまくればどこかの到達点には辿り着くと思うんです。本当に努力しまくった場合に限りますけど。勉強に関して詳しくは私の大好きな小説「受験のシンデレラ」または同著者和田秀樹氏が書いた受験関連本を読んでください。さて、のだめ原作本も読みたいところですが、押し入れに埋れています。まだ朽ち果てていないか心配です。

 

教育的英語番組久々にキターーーー

http://www4.nhk.or.jp/100otona/ 

       私の本職は英語を教えることなんだけど、英語を勉強するのに良い教材として有名なドラマが幾つかある。最も頻繁に挙がるのは「friends」、実際私もこのドラマを連続10時間見続けた時には飛躍的に英語力が上がった。friends見ている最中、家に母の知り合いのオーストラリア人から電話がかかってきて、流暢に英語を話す自分にビックリしたことがある。あと、恋愛ものはERのような医療もの、刑事ものや弁護士ものと違い、専門用語が出てこないので学習には適切と言われている。ファン層の厚い「sex and the city」「gosshipgirl」なんかもこのうちに入るだろう。

     ただ、これらのドラマを見たことがある人はご存知だろうが、まず下ネタと多少のお色気シーンに直面することなる。まあ、だからこそ勉強のモチベーションが上がるんだけど。それに、恋愛ドラマが好きじゃない人には苦行以外の何物でもない。NHKでもさすがにこれらは放映していないしね。

     だから、人にオススメできて英語学習で頼りになるのはNHK教育の「コドモ枠」と私が勝手に読んでいるアメリカンドラマの数々だ。私が小・中学生のころやっていたのは「フルハウス」で、かなり長寿番組だったし、出演者のうち最初は赤ちゃんだったオルセン姉妹が成長するにつれて彼女たちを主人公にした青春ドラマが次々とコドモ枠で放映されてたっけ。フルハウスは名作だし再放送されたら今の子たちにもオススメできるのに。私と弟が大好きだったのは「アルフ」というコメディで茶色い豚のような猪のような宇宙人が平和な家庭に住んでるという話だった。アルフは超毒舌で、よくある「ほっこり良い話」じゃない所が大好きだったな。

     さて、最近のコドモ枠も一応チェックはしていた。何とか勉強に活かせそうなのは「iCarly」というウェブ番組を作ってる女の子の番組だったが、放送終了してしまった。後番組で今も続いてる「サムアンドキャット」というのを見て「キャットを演ってるアリアナ・グランデって子は英語でも随分トロい喋り方するなあー」と思っていたら、後で歌手でアメリカの超人気アイドル(?) だって知りすごく驚いた。そんな中、久しぶりにコドモ枠に新しい番組が採用されるらしい、と知り昨日見てみたら大当たり!「高校生になるまえにしたい100のこと」っていうタイトルの番組だったと思うけど、教育的要素を全て兼ね備えているのだ。

  (1) アメリカの学校生活が分かる。でもイジメとかに言及しすぎない。(グリーは大好きだけどイジメや妊娠やゲイの問題など盛り沢山すぎる)

   (2) 主人公が女子なのはよくあることだが、女子目線になりすぎず、男子が見ても飽きない。

    (3) 英語が速すぎない、でもドラマ特有の造語とか専門用語は少なめ。

    (4)恋愛要素が少ないので安心して家族の前で見られる、また英語副音声で見れば勉強しているように見える。

 (5) 話がかなり単純でドタバタコメディなので別に英語が分からなくてもそれなりに推測できるし楽しめる。

    以上、小・中学生にもオススメできるポイントでした。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんも「英語教育なんとかしなきゃ、塾行かせなきゃ」とか言ってる暇があったら水曜日にテレビ付けて一緒に見てあげて下さい。大人には少し物足りないんだけどね。あくまで英語を勉強する手段として割り切るように。ちなみコドモ枠は水曜日の19:25〜と土曜日の18:25〜ですよ。この番組は水曜日です。うちのブルーレイは録画しても副音声が出なくて日本語でしか見られませんでした。なんとかしてほしい!他のうちはどうだか分かりませんが、メインのテレビの音声切換ボタンと字幕ボタンを駆使すれば古い器械でも英語で同番組を見られます。副音声➡︎英語 か、副音声➡︎英語+字幕➡︎日本語が英語学習には効果的だと思います。録画できる人は吹替一回、英語のみ一回ずつという方法もあります。私はビデオデッキ時代、字幕機能などなかったのでこの方法で英検準一級取りました。

   英検を受けようと思っている中学生諸君、留学に興味がある人、英語の授業はキライだけどアメリカには興味がある人、久々にいい感じの番組が始まったよ〜!NHK、でかしたグッジョブ!

    

     

 

朝ドラのテーマが発達障害かー。

  10月の放送開始から惰性で見ていた「べっぴんさん」だが、ここ数回でドキッとするテーマが浮上することがあり、ツイッターで呟いてみたところ、同じことを考える人はいたようで何度かリツイートされた。その懸念の集大成が12/7の回でクローズアップされそれなりに解決をみたらしい。そのテーマとはももいろクローバーの「良子ちゃん」の息子の「龍ちゃん」が保育園の先生方から「おたくのお子さんはお預かりできません。」と告げられるところから始まった。龍ちゃんは家でも、キアリスのお店でもじっとしていられない。お店の客に空気を読まず自分のことをべらべら話しかける。お店の名刺に落書きして叱られる。この症状、心理学をすこしでもかじったことがある人ならご存知、明らかに発達障害のうちのADHDだ。

    私の疑問はアメリカの精神科医のマニュアルで最近改訂されたDSMー5まで存在しなかった発達障害という概念が今までどう扱われてきたのだろうということである。その答えを少しおとぎ話的であるけれど今日のべっぴんさんで見た。結論。恐らく、今はない、ご近所さん、周りの人たちのさりげないおせっかいがこれらの特性の人たちを助けたのだろう。特に印象に残ったのはすみれの昔からのお手伝いさんであるキヨさんの台詞「人の何倍も手のかかる子はおるんです。(龍ちゃんの父親:どないしたらよろしいやろか) 何倍も手をかけてあげたらええんです。まわりに何人も大人がおるでしょ?誰が親や、じゃなくてみんなで育てるんです。」もう号泣です。昔の人はそんなに優しかったの?まさかあー、意地悪な人だっていたでしょ?キヨさんいい人過ぎですよ。すみれが天使のように育ったのもキヨさんのおかげですね、きっと。すみれも良子ちゃんとお店のスタッフに向かって「みんなで手をかけて行こう。そういう子はきっと人より幸せになるんやないかな。」と諭し龍ちゃんも暖かく見守られることになる。その台詞の後に龍ちゃんがおとなしめになるのはちょっと出来すぎた演出だけども。

     このエピソードを見た後、私はある国民的人気者のことを思い出した。そう、フーテンの寅さんこと車寅次郎。彼も学校の授業についてゆけず授業妨害などをして中学を中退している。しかしおいちゃん、おばちゃん、さくら、ヒロシ、タコ社長、御前様、柴又商店街の皆さんなどの暖かい人に囲まれて、でも時には大げんかしつつ彼なりの幸せを追求したし、真面目に働き立身出世が幸せだと自分に言い聞かせていた多くの日本人たちが寅さんの自由闊達な(だけど少し物悲しい)人生を観に正月盆に映画館へ通ったのだ。

     今だって「寅さんシリーズ大好き」って人は多いと思うし、古き良き昭和の文化として賛美されている作品だが、あなたの目の前に龍ちゃんがいたら、つまり電車の中やスーパーで走り回ってぎゃあぎゃあ騒いでいたら、キヨさんのように「みんなでこの子に手をかけて育ててあげよう」と思えるだろうか?確かに学校には発達障害の子を支援する人員が加配されたらしいけど、以前私が教育委員会に問い合わせたところ、「対象児童は自閉症児が多いですね。トイレなどの介助をして頂くことになります。」と言われた。親が我が子を発達障害で特別な配慮を受ける、しかも自閉症と同じ扱い(別に自閉症を悪く言ってる訳ではないですが、出来ることや配慮の種類は別だと思うので) になることを拒絶しているのかもしれない。でも、キヨさんの言うとおりせっかく小学校をあげて龍ちゃんを受け入れる風潮になってきたのであれば、任せてしまって気楽になればいいのに、今回のべっぴんさんで少しは意識改革が進めばいいのにね、と思ったのでした。

    ていうか、今日「地味にスゴイ!河野悦子」最終回の日だー!そっちのほうがハラハラするよ!真面目なこと言ってる場合じゃなかったわ。

       

恋ダンスはいじめを無くす!?

https://youtu.be/loDSHuiaR2A

初めてリンクを貼ってみました。恋ダンスを知ってダウンロードしたのは第1話再放送直後だったと思う。昔からモー娘。とかのナンセンスな踊りを見たりマネたりするのは好きだったが、今回は私が受け持っている生徒さんがダンス歴があると聞いて、ぜひ彼女の意見を聴きたいと思ったから。それにこれが踊れたら勉強は苦手気味の彼女が自信を持ってくれると思ったから。

   案の定、中学では恋ダンスが大流行りなんだそうな。あのドラマを中学生が見てどう感じるのかは別の意味で興味があるけれど。話題はダンスだ。一見PVを見ると、簡単そうな振り付け部分もあるが頭と手と足を同時に動かす難易度の高い技がそこかしこに散りばめられている。特にラストは見ただけじゃ無理ってものです。youtubeを見ると解説動画などもあって、なんか東進ハイスクール受験サプリを受講してるみたいな気持ちになる。

     いっとき、ゆとり教育のかけっこはみんなで手を繋いでゴールはいかがなものか、という議論があったが、恋ダンスはその点運動神経の差が容赦なく晒される造りになっている。かけっこの速い子が運動会の時だけヒーローなったように、休み時間に恋ダンスをするとき、勿論ダンスの経験がある子がリードするだろうが、いつもは大人しく出来ないADHDの子が活躍するかもしれないし、頭の良い子が歌詞を完全暗記するかもしれないし、音感のいい子が振り付けのときメロディーを歌ってくれるかもしれない。

       社会が停滞する時それをぶち破ってくれるものはサッカー・セックス・ダンスと言ったのは90年代の宮台真司先生だったっけ。記憶間違っているかもしれないけど。ちょうど中学1・2年は期末テストも終わって中だるみな時。暇だからクラスのムカつくあの子をハブっちゃおう(死語?)とか、なりかねない時期だと思う。そんな時のたかが恋ダンスされど恋ダンス。こんな単純な仕掛けで思春期男子女子(主に女子かな)の気が逸れるなら、学校へのスマホ持ち込みくらい許容されても良いんじゃないですか。それとも、ドラマが先生方のハートを射抜いて来年の5月くらいの運動会のプログラムに恋ダンスが採用されたりして。まさかね。

 

色紙は10年寝かせて熟成?

 土曜日に年に数回のレベルで鬱になった。助けを求めて色々なところに電話をかけまくった。しかし、気まぐれで鬱になる中年に手を差し伸べてくれる優しいひとなどそうはいない。皆さん日々の生活で忙しいのだから。そこで唯一相談にのってくれたカウンセラーさんが「今まで私が仕事で助けた人たちのことを思い出して。彼らはあなたのことを大切に想ってくれているのだから。」と言ってくれて、そうかなあとなんとなくその意見は保留していた。

    しかしさっき、ふと思い立って昔の同僚のA君の名前でfacebookでも検索してみるか?と思い、仕事が異動になったとき貰った色紙を本棚から引っ張り出してみた。明らかに同僚A君が勝手に思い立って彼なりの善意から皆に強要した色紙。10年間、気恥ずかしさと仕事の時の辛さを思い出すので本棚に入れっぱなしにして決して見ることはなかったのだけれど。久しぶりにみる色紙の名前は覚えている人も忘れてしまった人もいる。申し訳ない、名前忘れてゴメン!コメントは「〇〇に異動になっても頑張ってください。」の〇〇が間違ってて、ちげーよ!と突っ込みを入れたくなるものもあるし、そもそもみんな「異動」の漢字が「移動」になってるし。「今までありがとうございました。これからも頑張ってください。」と殴り書きされていて無理矢理書かされた感のあるのもある。でも、中には私が無我夢中で決行した研修旅行のことを感謝しているとのコメントや、私自身忘れてたけど勤務時間外に資格試験の講座を開き、無事おかげで合格しましたという話も載っていて、なんか10年も前のことなのだけど涙が込み上げてきた。私も少しは人の役に立つこともあったんだな。あのときは辛すぎて異動願いを出して、もうこんな職場イヤだと喚き散らしてたっけ。異動が決まったときも周りの人たちは迷惑な奴が居なくなってせいせいしたって雰囲気がひしひしと伝わってきて、別れを惜しんでくれた同僚はA君だけだったのに。そんなときあの色紙を貰ったのだ。

    私の人生哲学は一期一会なので、色紙なんて無用の長物だと思っていた。しかし、そんなモノでもワインやウイスキーのように熟成されて私だけのための素敵な詩としてブーメランみたいに戻ってくることもあるんだな、としみじみしてしまった。本来色紙の中から探したかったA君のフルネームは分からずじまいだったけどね。