さすらいのハル、異論反論日記

ドラマや映画、漫画やニュースに言いたい放題言わせて頂きます。

朝ドラのテーマが発達障害かー。

  10月の放送開始から惰性で見ていた「べっぴんさん」だが、ここ数回でドキッとするテーマが浮上することがあり、ツイッターで呟いてみたところ、同じことを考える人はいたようで何度かリツイートされた。その懸念の集大成が12/7の回でクローズアップされそれなりに解決をみたらしい。そのテーマとはももいろクローバーの「良子ちゃん」の息子の「龍ちゃん」が保育園の先生方から「おたくのお子さんはお預かりできません。」と告げられるところから始まった。龍ちゃんは家でも、キアリスのお店でもじっとしていられない。お店の客に空気を読まず自分のことをべらべら話しかける。お店の名刺に落書きして叱られる。この症状、心理学をすこしでもかじったことがある人ならご存知、明らかに発達障害のうちのADHDだ。

    私の疑問はアメリカの精神科医のマニュアルで最近改訂されたDSMー5まで存在しなかった発達障害という概念が今までどう扱われてきたのだろうということである。その答えを少しおとぎ話的であるけれど今日のべっぴんさんで見た。結論。恐らく、今はない、ご近所さん、周りの人たちのさりげないおせっかいがこれらの特性の人たちを助けたのだろう。特に印象に残ったのはすみれの昔からのお手伝いさんであるキヨさんの台詞「人の何倍も手のかかる子はおるんです。(龍ちゃんの父親:どないしたらよろしいやろか) 何倍も手をかけてあげたらええんです。まわりに何人も大人がおるでしょ?誰が親や、じゃなくてみんなで育てるんです。」もう号泣です。昔の人はそんなに優しかったの?まさかあー、意地悪な人だっていたでしょ?キヨさんいい人過ぎですよ。すみれが天使のように育ったのもキヨさんのおかげですね、きっと。すみれも良子ちゃんとお店のスタッフに向かって「みんなで手をかけて行こう。そういう子はきっと人より幸せになるんやないかな。」と諭し龍ちゃんも暖かく見守られることになる。その台詞の後に龍ちゃんがおとなしめになるのはちょっと出来すぎた演出だけども。

     このエピソードを見た後、私はある国民的人気者のことを思い出した。そう、フーテンの寅さんこと車寅次郎。彼も学校の授業についてゆけず授業妨害などをして中学を中退している。しかしおいちゃん、おばちゃん、さくら、ヒロシ、タコ社長、御前様、柴又商店街の皆さんなどの暖かい人に囲まれて、でも時には大げんかしつつ彼なりの幸せを追求したし、真面目に働き立身出世が幸せだと自分に言い聞かせていた多くの日本人たちが寅さんの自由闊達な(だけど少し物悲しい)人生を観に正月盆に映画館へ通ったのだ。

     今だって「寅さんシリーズ大好き」って人は多いと思うし、古き良き昭和の文化として賛美されている作品だが、あなたの目の前に龍ちゃんがいたら、つまり電車の中やスーパーで走り回ってぎゃあぎゃあ騒いでいたら、キヨさんのように「みんなでこの子に手をかけて育ててあげよう」と思えるだろうか?確かに学校には発達障害の子を支援する人員が加配されたらしいけど、以前私が教育委員会に問い合わせたところ、「対象児童は自閉症児が多いですね。トイレなどの介助をして頂くことになります。」と言われた。親が我が子を発達障害で特別な配慮を受ける、しかも自閉症と同じ扱い(別に自閉症を悪く言ってる訳ではないですが、出来ることや配慮の種類は別だと思うので) になることを拒絶しているのかもしれない。でも、キヨさんの言うとおりせっかく小学校をあげて龍ちゃんを受け入れる風潮になってきたのであれば、任せてしまって気楽になればいいのに、今回のべっぴんさんで少しは意識改革が進めばいいのにね、と思ったのでした。

    ていうか、今日「地味にスゴイ!河野悦子」最終回の日だー!そっちのほうがハラハラするよ!真面目なこと言ってる場合じゃなかったわ。