さすらいのハル、異論反論日記

ドラマや映画、漫画やニュースに言いたい放題言わせて頂きます。

学歴は幸せを呼び込まない。でもさ・・・

       最近、LINEで小中学校の友人と繋がる機会があった。彼女には今春高校受験の娘さんがいて、その地域のトップ校に入れる偏差値なんだー♩と自慢された。それはいいのだけど、その娘さんはトップ校には行かずに地元の普通の進学校に行って美容師になりたいのだそうな。私の友人は人格的にも高潔で素晴らしい人だからけなす意図は全くないが、シングルマザーで所得も決して高くはないと思われる。周りにも学術的な興味を掻き立てられるような環境や交友関係はないと思う。娘さんも家計を心配して大学進学を諦めてしまったのかもしれない。こういう子のことをマイルドヤンキーっていうのかな。まだおしめをしてハイハイしていた時に会っただけの女の子のことで何故無関係の私がやきもきしなければいけないのだろう。

      対照的に私はいじめとかに遭ってた小中学生時代に、親から「低俗ないじめる連中と離れられるからとにかく勉強して学年トップ数名に入って偏差値の高い学校に行きなさい。そうすればもういじめられることはなくなるから。」と多少ズレた洗脳を受け、本当に勉強をしてそれなりの学歴をつけた。県内有数の女子高でも日本で多少名が知られた大学でも私は自分の性格や外見を周りに合わせることはできなかったけど、親の言うとおりもういじめられることはなかった。職場ではさすがにハラスメントぎりぎりのことはあったけれども。

    先のブログに書いた「逃げ恥」の星野源演じる平匡さんは京大卒のITエンジニアという設定だが、私は彼の方に少し感情移入している。学歴が一流だとしても幸せがもれなくついてくるわけではない。幸せの鍵は人間関係の中にあるわけじゃないという「プロの独身」の哲学にも共感できる。お金のチカラは偉大だ。幸せはお金で買えないかもしれないけれど、手作りのモノを買うのだって、美味しいものを食べることだって、旅行とか習い事だって、お金を払うことで誰かと繋がるための媒介にはなる。そもそも平匡さんがみくりに出会えたのは家事代行の給料というお金のチカラじゃないか。みくりだって家事とカウンセリングという彼女の培ったスキルに対価をもらっているだけで、そこから少し給料以上の愛っぽいものが生じているというところが世の中の女子をむずキュンさせているわけだから。

     勉強を教えるという私の今の仕事にもみくりと共通点はある。お金をもらってお父さんやお母さんが教えられない勉強を教える、時には教養という親によっては持ってない環境をシェアしあう、親も気づいてないかもしれない一人一人の個性を見つけ出して褒める、人間なので合う合わないがあるのは当然だが、時には時給以上に愛を注ぐ場合だってある。仕事時間外にその子が好きな「君の名は」や「聲の形」を観たり。(後者は原作だけ読んだだけだけど)。仕事ではない時間に「この子にはどう説得したらヤル気を出してくれるかなあ」と思索にふけったり。ヤル気スイッチとか言ってる大手塾の経営者、個々の労働者の努力の上でおたくの儲けが成り立ってるってこと忘れるなよ!これを書いてて思い出したけど「ビリギャル」の先生なんか、仕事の大半はこっちの方に割いて大儲けしているじゃん。金八先生だってGTOだって生徒思いの良い先生なんだろうけど給料もらっているんだよ。

   前述のマイルドヤンキー女子は現代のオンナノコの進化系なのだろうか。私の考え方が過去の遺物?だって、オンナノコに学歴なんていらないってガッキーが証明しているものね。必要なものは聴く力と笑顔と恋ダンスか?確かに恋ダンスをyoutubeを一通り見て真似したけど超難しかったよ。特に首を横⇨下に振りながら手は肩に交互に置くところ、運動音痴には絶対ムリ!ガッキー大したもんだ。オンナノコには運動神経も必要なんですね。ひと昔だったらフェミニストの先生方が激怒しそうな世相だけれど、なぜ上野千鶴子先生や本田由紀先生は表に出てこないんだろう?なぜ自立した女の声代表だと思ってたジェーン・スーさんはこのドラマと漫画にどハマりしているのか?やはりみくりも友人の娘さんも2016年仕様ニューモデルだからなの?とりあえずまだ半分ちょいしか見ていないドラマと原作漫画を読むところからはじめるとするか。