さすらいのハル、異論反論日記

ドラマや映画、漫画やニュースに言いたい放題言わせて頂きます。

英語教育の進歩が、英語嫌いを増やすとしたら?

     定期テストが終わって、結果が出る時期になりました。私の働く塾で起こった出来事です。生徒が定期テストの英語科で悪い点を取って来て、私の教え方が間違っていたと責めました。それは少し当たっていました。教科書の本文中心に教えた(といっても二回だけしか教えるチャンスがなかった)のが裏目に出たのです。八年前までやっていた教員時代、普通定期テストは本文から出題されるという教員間のテスト作成のルールがあったから教科書中心の教え方をした訳ですが、見事に一問も教科書から出題されなかった。そのほかにも理不尽な採点方法があり、私は怒りが久しぶりに爆発しました。
     あくまで私の信念で個人の意見ですが、英語という教科の良いところは、知能が正常範囲内ならば13歳からスタートして(小学生のとき劣等生でも) 頑張れば努力が必ず報われることなんです。教科書から出題しないということは、学校で真面目に教科書を読んで授業を受けている平均的家庭の生徒を見限って、英会話学校などで幼少時からお金をかけた生徒が優遇されることと同義なのではないか。
私が英語を教えている理由は「世の中は不条理だけど努力が報われる世界もほんの少しはある」ことを伝えたいという気持ちがあるからです。自分も良い先生方にそう教わってきたから。自分が学校に勤めて試験を出す側だったときは貰った権力の全てを使って、努力した人が頑張ったぶんだけ報われる試験を作りました。
    社会では人間は時に裏切ることもある。世の中は容姿とか要領の良さしか見てくれないことも多い。もちろんそれらを現実として受け止めるしかないけれど、どんな見た目が不細工でも性格が不器用でも運動が苦手でもテストの点だけは頑張る人間を裏切らない、と考えるのは古いですか?この考え方が間違ってることは知ってます。そもそも暗記などの知的能力だって個人差があり恵まれている人とそうでない人がいることも分かっている。でも努力が報われることを一瞬でも思春期だけでも真実にするのが私の仕事なんです。50点の人が頑張ったら65点取れるようにしてあげたっていいじゃないですか。

   実はその怒りの対象となった中学の問題は英語の専門家として見れば良い問題でした。

具体的に言うと「好きな季節は何ですか。その理由は?」という問題が出題されました。質問自体はコミュニケーションツールとして悪くない。でも、秋が好きで紅葉のことを書きたい中学二年生はどうすればいいだろう?紅葉turning of the leaves は二年生では習いません。私は生徒に「嘘でも良いから理由の答えが書ける文章を作れるか判断してから好きな季節を決めなさい。」と指示しました。例えば冬が好きなことにする。理由は「スキーできるから。雪が好きだから。」なら満点の答えが書ける。ちなみに私はスキーが大嫌いだけど、それが私の模範回答です。夏でも「プールで泳ぐ事ができます。海が好きです。」なら小学校低学年レベルの馬鹿っぽい作文だけど満点。私に抗議した生徒は冬なら雪合戦が好きだそうです。でも雪合戦「snow ball fight」を中2の英語では表現できない。だから、嘘でもスキーと書いておくしかない。春が好きな人は中学二年生のレベルでは「お花見」「桜」「だんだん暖かくなる」といった表現ができません。コミュニケーションと名のつくものは全部そんな調子なので、感受性豊かで真面目で言いたい意見があればあるほど英語で表現できないもどかしさに苦しむことになる。

     最近の英語教育とその目標に言えることですが「相手を喜ばせるような正解を、見え透いた嘘でも何でも良いから、文法的な要点は押さえつつ適当にペラペラ言えれば、または書ければ点が取れる教科」に成り下がりつつあるように思えるのです。もちろん本当に言いたい事を表現したい優秀な生徒はボキャブラリーを増やすために辞書を引いたり、先生に質問したり、ラジオ講座を聴いたり、自分なりの方法で能力を高めるのでしょう。私自身はテストの点数のためなら平気で嘘をつく狡い人間です。でも真面目で口下手な人、嘘つきじゃ無い人はせっかく英語の知識があっても、英語以前の問題でつまづくかもしれないし、英語学習が途上ならば中途半端な文しか作れない。結果点数を落とすことになります。「コミュニケーション英語」(高校の教科名)という名前の教科なら仕方ありません。でも中学の普段の学習成果を測る指標である中間テスト期末テストでは英文法と教科書本文を出題するように研修現場で叩き込まれているのではなかったか。最近は考え方が変わったのかもしれませんし、学習指導要領をちゃんと読まない私も悪いです。でも教科書引用抜きの問題を出すならば、成績が良くなかった生徒を救済する措置をすべきではないでしょうか。何しろ、通知表の結果は内申書に載り、入学試験の結果を左右するのだから。器用な嘘つきがコミュニケーション上手で、そうじゃない人をコミュ障と呼ぶのだとしたら、世の中って何なんでしょうね。

    しかも、二十年前は単に構文や単語をたくさん覚えているかなど、努力を測る道具でもあった英語という教科が、そこから努力の要素を削り取られるのだとしたら、教科としての英語の存在意義がますます危うくなる気がするのです。私は英会話が好きですが、嫌いな人だって英語とは受験までお付き合いして行かなければならない。もちろん語彙と文法はないがしろにされはしないでしょう。しかし英語にそれほど興味関心を持たない生徒にとって、努力が報われないテストのせいで彼らがますます英語嫌いになって欲しくないと願うばかりです。

 

下剋上受験というドラマにひとこと

 塾講師の私としては、もともと注目していたこのドラマでしたが、このお話から学べること、突っ込みたいことはいくつかありました。

 まず、作中に出てくる塾は塾として問題があるということ。前に生徒を出させて答えを書かせて正解するなら、そもそも講師なんていらないわけで。カリスマ講師なら、そうでなくてもまっとうな講師なら生徒がつまずいているところを見つけてヒントを出すべきなのであって、恥をかかせるべきではない。阿部サダヲはこの塾に娘を入学させなくて正解である。でも、やはり勉強でわからなくて困ることは出てくるわけで、先生的な存在は必要だろう。不動産屋の部下で東西大学出身エリートを家庭教師として1週間に数回雇うのが手っ取り早い解決策だとは思うが、だれか、勉強のプロフェッショナルを見つけ出す必要性はあるだろう。

  阿部サダヲ扮するお父さんが「俺が塾になって、問題集を一緒に解く」という考えは、塾に頼っている保護者全てに聞かせてやりたい心掛けだと思う。塾なんてほとんど週1・2回の授業、時間数にして月4-6 、多くて8-10時間だけなのである。時間数が少なすぎる。もちろん自習室を開放していることをウリにしている塾は多いが本人のやる気がなければここを有効活用はできない。

   実をいうと、私の父はこのドラマの阿部サダヲと同じことを生き甲斐にしていた。ドラマでは娘を中卒にしないという目標を立てているが、法学部卒で公務員だった父は文型の限界を感じ、私を医師にすることが人生の目的だった。結果から言うと私は英語科に進んだから父の目論見が外れたことになる。しかしその教育方針は塾の講師として今生徒に強要するにはハードすぎるが、正しかった気がするのだ。ドラマで阿部サダヲが本屋で問題集や参考書を一気に何十冊も買い込むシーンがでてくるが、受験に関してはそれが正解だと思う。欲を言えば、解答解説らんが詳しい問題集を精査すべきだったろう。通信教育なども盛り込んでもいいかもしれない。しかし、父の方針も同じく各科目の問題集を約6冊ずつ買って、定期試験の度に範囲を6冊分、5教科なら30冊こなすわけだ。といっても、試験範囲などページ数にして10ページあるかどうかだから300ページやるだけ、といえばシンプルそうに聞こえるし、公務員試験や落ち続けたけど司法試験勉強に慣れていた父にとってはこれくらい当たり前の学習方法だったのであろう。利点は、異なる問題集を数こなす事によって、共通する問題が解ってくることだったりする。そこが試験のヤマともいえる。どんな馬鹿でも同じ問題を6回やってまた同じ問題に遭遇すれば嫌でも答えを覚えるものだ。家族からは「バカなら人の二倍勉強しろ」と繰り返し言われ、私もバカみたいにそれに従った。ある意味虐待だな… 弟はそれを拒んだので親が文字どおり体を押さえつけて時折殴りつけられながら同じ勉強法を強要させられた。まさに虐待だ… 

   その結果、地域のトップ公立校に受かったと書くと成功譚としてとられるのだろうが、やはり公務員の娘、母も短大卒で勉強の素質はあったのだと思う。このドラマで少し私が危惧しているのは中卒でも頑張れば学歴を得て将来を開けると思い込む人が出てくることだ。私は鉄棒の逆上がりもできない一輪車も乗れないマラソンもビリの完全な運動音痴だが、世の中には勉強の音痴もいる。それは教える仕事をしていて嫌という程思い知らされている。彼らは中卒とかバカとか呼ばれるのを極度に恐れているけれど所詮逆上がりができないのと同じレベルのことだと私は思っている。逆上がりも英会話も数学の証明問題もできなくて人生で困ることってどれ位ある?その代わり勉強なんか無視してドラマの登場人物のように中卒だけど大工や個人商店の経営者として活躍している人もたくさんいるはずだ。結果的に勉強から遠ざかるから中卒ということになるけれど。阿部サダヲはたまたま中卒だけど不動産屋の仕事ぶりからして地頭の良い人なんだと思う。そういう意味では娘の香ちゃんの成績にも期待は持てる。

    私は学習塾講師として保護者からお叱りの電話を受けることがあるのだけど、時にはこちらに非があることもある。しかし、文句の内容が「試験の結果が悪かった。通知表の評価が2だった。」として、保護者のあなたは大切な子供のために何をしてあげただろうか?阿部サダヲみたいに一緒に勉強してあげた?塾は確かにお金を払って勉強を教えるところだけど、美容室のように数時間後満足な結果が返ってくるわけではない。本人が努力しなければ講師がどんなに分かりやすく教えても限界はある。塾はライザップやエステに似ているのかもしれない。結局本人がインストラクターの指示どおり動かなければ結果はコミットできないから。

    私は生徒を通じてテスト前に保護者向けの手紙兼指導マニュアルを渡すことにしている。対象は主に高校生。たまに中学生。まず、問題集と暗記事項を(       )で抜いた手作りプリントを数十枚渡しておく。そして、英語に限ったことだが、親の前で教科書の音読、プリントを使った暗唱を10回近くしてもらう。できれば教科書の暗唱が完璧にできる所まで行けば満点も狙えるレベルに到達するだろう。でも、私がここまでやったところで、マニュアルを本当に親に渡す生徒が何人いるだろう。親もそこまで必死に面倒見てやろうと思える人がどれだけいるだろう。塾はそんなに表面的で金儲け主義の場所ではない。結果が全てだから講師だって地味でも良心的な人はたくさんいる。

   だから、この「下剋上受験」を見て、俺も私も阿部サダヲみたいにやってみようと思った保護者の人は、塾(学校でもいいけど個人対応はできないので)の担当者に、「『下剋上受験』っていうドラマを見たんですけど、私も家で学習を手伝いたいんですよ。どうすればいいですかね?とりあえず復習できる宿題を1週間分出してもらえますか?監督は自分がしますんで。わからないことがあったら来週の授業で教えてもらえます?」と持ちかけてみることをオススメします。一緒に勉強するのであれば個別指導塾なら保護者が横で見学していても迷惑かもしれないけれど断りはしないと思いますよ。

     このドラマはドラマなので娘の香ちゃんはかなり先天的に勉強のできる子で努力をしてなかっただけ、という展開なんだろうけど、阿部サダヲパパがこれからどんなマイホーム塾センセイになるのかが楽しみです。

     個人的には明るくて前向きな家族、とくに不器用だけど優しい爺ちゃんとバカながら可愛くて現実的な深キョンママがいるってだけで中卒とか関係なしに幸せだと思いますけどね。みんな、逃げ恥で高学歴な二人が悩みのどん底に苦しんでいたことをもう忘れちゃったの?

     

   

 

 

   

クレーマーもやり方次第・・

   高齢者の母が、今日ヤマダ電機でラジオを買ってきたんです。そしたら、AMラジオがまったく繋がらない。確かに群馬で聴けるラジオはNHKとTBSだけなのでその点は諦めているのですが、その二局すら繋がらない。母はヤマダ電機カスタマーセンターに電話をかけました。そしたら、一度開封したものは返品を受け付けないとのこと。まあ、店頭で実物を開けてもらって実際に聴かなかった母にも非はあるでしょうし、母は「明日東京に行くのでそこで聴けますか?」と質問して店員は大丈夫だと答えたのだそうだけどもその質問方法にも問題がある。でも、密封してあるラジオ(そして今時小型ラジオは店頭見本などないであろう)の性能を確認できる訳はないわけで。

  どうしても合点がいかないので、代わりに私がヤマダに電話しました。「東京で電波を拾える商品なのかもしれないですけど群馬で売っているラジオなのに群馬で受信できないのって変ですよね?まあ、確認しなかったこちらにも大いに非はありますが。」と聞いてみたら、ヤマダ電気側は「一旦検討させてください。折り返しお電話します。」とのこと。で、30分後、返品OKとの答えが。やればできるじゃん、ヤマダ電機!そして、高齢者をなめるのはどうかと思いますよ?

   ラジオなので大した値段じゃないですけど、ヤマダ電機さんの誠意を認めて、返品分のお金で新しいイヤホンをその売り場で買うつもりです。(ラジオは私のSONY高級小型ラジオを母が「これ壊れてる」とかいちゃもんをつけてたので、実演して聞こえることを確認してもらいました) 母がはやくスマホを買ってradikoでラジオを聴いてくれるようになればこちらも楽なんですけど、頑固だからなあ。そして、安物と比べるとツイッターの住人さんたちからアドバイスをもらって大金はたいて買ったSONYラジオが如何に優秀かよくわかりました。

「デート」っていうドラマ覚えてる??

     私は逃げ恥の平匡さんがプロの独身から卒業したことに狼狽えてるんですが、(あれって人生哲学ではなく単に自信がなくて臆病な自分、ぼっちで可哀想な自分を正当化するための言い訳だったの?)そのからくりを考えているうちにあるドラマを思い出しました。月9枠でリーガル・ハイ鈴木先生などの脚本家、古沢良太さんが書いた「デート 恋ってどんなものかしら」です。

     よく考えてみるとあれも分厚い契約書で恋愛、結婚を理性で乗り越えようとした契約結婚の話なんですよね。もっともみくりの役が長谷川博己さん、平匡の役は杏さんなので男女逆転してるんですけどね。みくりは多少交際経験があるのに対し長谷川博己の役(谷口巧)は付き合った経験こそあれど高齢童貞のひきこもりですが、仕事ができない、仕事が見つからなくて貧乏という点では共通しているかも。妄想癖はないかもだけど巧は小説や漫画や古い映画の中に生きてるような人だし。

   平匡に匹敵する杏ちゃん(藪下依子)は東大卒の数学博士号取得したエリート(たぶん)で物事を理詰めで考えて契約書にすればうまく感情的な欠点を解決できると思っている。恋愛というものがよくわかっていなくて、考えた挙句、恋などという曖昧な感情は排除して合理的で建設的な関係を巧と築こうとする。巧のほうが小説映画に慣れ親しんでるだけあって、ひきこもりとはいえ人間らしい心を持っている優しい人なのでこの関係、始めてみたもののどうなんだろう…でも自立のためには、金のためには仕方ない…と言っているうちに一見孤高の女の子に見える依子の脆さを理解しはじめる、といった話だったと思う。恋ダンスはなかったけど広末涼子の「マジで恋する五分前」に乗せてフラッシュモブ&プロポーズ!とか似た要素もあったような。

    みくりみたいな妄想シーンはないけれど、依子が着慣れない可愛い系の服をモテ女子マニュアルの通り着てくるんだけど花を付ける場所が間違ってたり、石森章太郎サイボーグ009のコスプレしたり、笑える要素満載なんですよね。

     それだけ、草食化といっちゃえばそれまでですが、理性的に割り切らなければ、役割分業としての共同生活または社会的ユニットとして考えなければ結婚なんて利益の分配がハッキリしない曖昧なシステムは成立しない。また恋愛なんていう得体の知れない、いつまで続くかも分からない相手の無償の気持ちを信頼すること自体、普通の神経ではできなくなっているのかもしれない、と思うんです。だからこそ「デート」や「逃げ恥」が共感を獲得する。

        福士蒼汰君とかが主役やってるような恋愛映画とか漫画とかドラマを本気で信じちゃうようないい意味でお馬鹿さんな子達って逆に少子化対策としては貴重な存在ですよね。私、偏差値38の学校に勤めてましたが半分くらいの女の子はお馬鹿さんだけどピュアで意外に真面目で、家計簿も料理もイマイチかもだけど私が男なら偏差値70の学校の子よりこちらの子達を嫁にします、絶対に。進路指導部にハローワークの求人票を並べておく棚があるのだけどそこに「永久就職、専業主婦」の求人も置いておけばいいのに、は暴論でしょうかね?

       そういえば、ある人に「デート」の話をしたら、「普通にドラマを楽しめばいいのに、なんで小難しく考えるかなあ?」って言われたんです。その言葉そのまま「逃げるは恥だが役に立つ」にも適用すべきなんでしょうね。感情を頭でなんとか正当化しようとしても、結局もやもやしてしまう。かといってみくりと平匡みたいに「火曜はハグの日」で解決できちゃうのかな。自分の小賢しさ、頭でっかち、なんとかなんないかなあ!もう。

お金を稼ぐことと遣うことの相関関係

      働くことが好きな人と嫌いな人っていますよね。嫌いな人の方が多いか?私は12月になりこの一年を振り返ってみました。そのうちにネット上通販サイトで突然タイムセールが始まってて、余りの安さについ4,000円も無駄遣いしてしまいました。しかし、一年の振り返りと4000円の出費には相関関係があると思うんです。

      うちは幼少時代〜大学生まで基本ケチな家庭でして、持ち家だし学費も払えるし完全な貧乏ではないのだけど勉強・教養関係と漫画以外一切の出費、とくに交際費と見栄に関する(良い家具、高い家電、高級車、高い洋服など)ことは一切出してもらえませんでした。

      大人になって働き出して、最初にマズイと思ったのはそういう家庭環境もあって、洋服など見た目が見すぼらしいと思われたらどうしようということでした。だから私が洋服にお金を遣うとき真っ先に考えるのは「仕事に着て行って通用するか否か」です。家でうだうだするならジャージでいいしその辺の外出くらいならしまむらユニクロで十分。それだって高いですよ。

    この一年を振り返ると最初に書きましたが、私には4ヶ月無職の時期がありました。就職活動をしなかったのではなく採用されてたのに契約社員なのでレイオフで待機、しかもいつ次の仕事がくるか分からない待機。そして、仕事復帰し今に至ります。私はどちらかといえば働くことがあまり好きでない派なので仕事があろうとなかろうと蓄えさえ尽きなければどっちでもいい。しかし両者を比較して、赤字だったのは仕事をしてからのほうでした。

    仕事が接客業で制服なしということもあるけど、仕事服や仕事がらみで必要な書籍類の出費が半端なかった。仕事に必要な場合500円上限くらいなら経費も自分持ちなことも多いですし。前述タイムセール的な所でも「これ、仕事に来て行ける服なのに990円だって、買わなければ!」的な強迫観念が働く。

    反して無職のときの出費は微々たるもの、厳密には光熱費、通信費(ネットwifi代のみに抑える) などかかりますが基本無料のラジオテレビネットで元々幼少時代からお金をかけてた教養・映画・書籍類はなんとかやりくりできちゃうんですよね。今はアマゾンプライムとかインフィニティ(本読み放題)とか青空文庫、ネットのブックオフにアマゾン中古本、100円DVDレンタルもあるし。服も適当なシャツと毛玉だらけのズボンとかで自分は構わないので。

     仕事をするということは格好良い言い方をすれば社会参加なのだけど、人と関わるからにはよく思われたい。不快にさせてはならない。自分でも自信を持ちたい。要は他人に嫌がられない馬鹿にされない振る舞いを求められる。昔から疑問だったけど、飲み会の類でよくたった一回の食事に五千円〜一万円も使えるな、お前ら!と言いたくて仕方なかったけど我慢。服装は前述の通り。昔出張ついでに仕事の先輩とアウトレットに行ったけど、まあ、ブランドものを次から次へとよく買うこと。そりゃ稼がなければ生活できないわな。

     加齢と共に休みに遊びに繰り出すことも面倒臭くなったので、わざわざ1,800円する映画を見に行かないし年末年始に三倍価格の旅行に行くのもどうかと思うし、根が無気力なんですかね。下戸でジャンクフード好きというのも貧乏体質を加速させてるとは思うのですが。

    前にジャニーズおたくの女の子が高校中退しようとしているところを止めようとしたことがあります。彼女に「高校中退じゃ余り良い職に就けないよ?ジャニーズのCDとかコンサートだってお金かかるよね?」と諭すと「私、そのためなら交通整理だって工場勤務だって耐えられるので。」(注・彼女は水商売とか接客業には向いていない) と答えが返って来た。結局中退したけど、コンサート行けてるのかな?どっちにしてもジャニーズ、人を働かせる原動力になるって、やっぱすげえな。

      とはいえ逆に専業主婦などで節約生活、ミニマリストロハスな生活をしている方とも違うんですよね。欲望は抑えられないのでセール品や100円ショップならガンガン買います。でも、やっぱり赤字なんだよなあ。正社員のときは支出より収入が圧倒的多かったしブラックだったから暇がない分金の使い途もなかったので赤字のメカニズムなど考えたこともなかったのになー。赤字って贅沢病なのか?変な結論になっちゃったな。

      

 

    

   

小賢しいの定義

みくりは小賢しいことをコンプレックスしていたが、良く考えたらみくりってそれほど小賢しくない気がする。むしろ不器用で正直に思った事や疑問点を正面から受け止め、そのまま妄想やモヤモヤを経て平匡さんはじめ周りの人達にぶつけてしまっている気がする。

広辞苑には小賢しい: ①利口ぶって、なまいきである。②わるがしこい

という定義になっているけど、確かに①は当てはまる。平匡さんも「人を見下すって意味ですよね、僕はそうとは思いません。」と言っていたような。

     でも、私にとっていままで考えていた小賢しい女の子の定義は②のほう、つまり外見の可愛さを武器に、本音を隠して男をうまく立てて操縦できるオンナなんですよね。逃げ恥でいうと平匡のコンプレックスには目をつぶり「大丈夫、あなたは素敵だと思うな。」と嘘でも言っちゃうような。平匡さんは仕事は一応できる訳だから、ガンガン稼がせて年収も上げる。最低賃金である生活のレベルも高級家電や家具を買って月給アップ代わり。またみくりはボーナス代わりに報酬(高い洋服や宝石や旅行や高い歯の詰め物?)をもらう。今までの私が勝手に呼んでる名称ですが「上級主婦」あまり詳しくないけど雑誌のVERYを読んで、そこで紹介されているライフスタイルを実践できるような主婦って、みんな②のほうの意味で小賢しくそういう風に暮らしているんじゃないかなあ。

     ただ、平匡のほうが独身歴長い分その辺勘は良さそうな気もするので嘘八百で「好きです」とか「風見さんなんかより平匡さんのほうが格好いい。」とか言われても信じないかもしれないな。何事も本音でぶつかる性格のみくりだから、お寺で「私平匡さん好きですよ?」といったのも真実味があったのかもしれない。

      話は変わりますが、よく専業主婦の方が「欲しいものがあるときに、自分だって家事労働で貢献しているのに(逃げ恥でいうと共同経営者)旦那に、ねえ、あれ買って、あれが欲しいんだけど…」とおねだりしなければいけないのがキツイと聴いたことがあるけど、それをやってのけられるのが私から見ると小賢しさのスキルなんですよね。

   みくりはただでさえ高学歴でしかもユリちゃんという自分の分は自分で稼ぐロールモデルが居るのでどうしても従来型の女性の役割を引き受ける覚悟ができていないような気がする。作中ではみくりは歯のかぶせもの以外それほど物質欲もあるように見えないのにね。でもやはりユリちゃんを見ちゃってるから贅沢のレベルは高く節約貧乏暮らしは実は苦手なのかもしれない。みくりが従来の女性像と社会適応に問題を抱えているキャラだとは他のツイートやブログなどで何度か目にしたが、そのへんを鑑みてもやはり小賢しくはない直情型のキャラなのかもしれない。私は今季のドラマでは「地味にスゴイ・校閲ガール河野悦子」のえっちゃんの方がみくりより好きだったけど、本当は二人とも似たキャラだったのかもしれない。今の二十代女性が「専業主婦になる=最低賃金暮らしはなんだかなあ」「キャリア追求=ユリちゃんはイタイのかなあ」「私って言いたいことすぐ言っちゃう、または言いたい!=それってオトコにドン引きされるよね」に迷っているような(みくり)、振り切って暴走したいような(悦子)に分かれているのかな、と思わせられる秋冬ドラマ二本立てでした。あなたはみくり派?えっちゃん派?

    

   

逃げ恥最終回感想もどき⑴

       とうとう最終回ですね! この回を見て私が一番気になったのは当初は優位に立っていたみくりが実は「小賢しい女」だった事に大いにコンプレックスを抱いていたこと。平匡さんは自分のコンプレックスを解放してくれたみくりが苦しんでるのを見て、お礼に優しい言葉で助けてあげましたとさ➡︎めでたしめでたしって、それほど平匡大したこと言ってない気がするけど?「面倒臭いのは一人でも二人でも同じ」と慰めたんだろうけど、みくりの言う通りボランティアで彼女が一方的に家事をしたとしたら、疲れているとき家事をサボったら平匡は笑顔で許して自分で家事をするの?最後、東京フレンドパークのパロディで誤魔化してたけど、問題は解決していない気がするのは私だけですか?

    さすがに星野源徳川秀忠役で出てた真田丸パロディはサプライズかつ大爆笑でしたw五円玉ってw

     みくりの小賢しさは私にとっては他人事ではなかった。最終回でちゃんとみくりに感情移入できた気がします。当初は従業員という立場で猫かぶってましたからね。ガッキーみたいに可愛い子が金貰ってるとはいえ御主人様の言うなりの良い奥さんやってるわけですから。「20代女子よ、これみて婚活のお手本にしろよ」的なつまんない話なのかと思ってました。

     が、いい意味で裏切られました。裏ガッキー、つまり私の大好きな「リーガル・ハイ」の黛真知子(ガッキーの役名)にも通じる正論まくし立てるくせに実力伴わない、相手にドン引きされるオンナにみくりちゃんが変身していくんですよね。契約社員時代に役職ないくせに「ああしたらどうですか、こうしたらもっと良くなると思います。」と提案してたんですね、みくりちゃん。私もそういう余計な一言や実力行使が多い方なのでコンプレックスなのわかります。でも平匡がご飯炊いてないことを責めたって、掃除が実はそんなに好きじゃないことだって、皆に好かれない小賢しい女と言われたって、そのままのみくりでいいのに、なんで悩むんだろう。平匡がハグとかチューと引き換えにそれらの自称「欠点」を引き受けたことでハッピーエンドしたけど、まだ少しモヤモヤが残るのでした。

    同時に一つ前の記事に書いたように、私は平匡にはいささか王子様ぽさを感じないんです。代わりに誰なら好きなんだろうと考えたんですが、やはり「リーガル・ハイ」に行き着くんですよね。小賢しい女を叩きのめすには堺雅人演じる性格破綻弁護士(とグーグル検索で出た)古美門研介くらいのスーパーできる男じゃないと破壊力がイマイチ足りません。「私、こうした方がいいと思うんです」「そんな浅はかな考えだから君はいつも敗訴するのだよ黛くん、バーーーーーーカ、バーーーーーーーーカ!」的にね。

    もっとも、みくりもきちんと本来の職である臨床心理士への就職に再チャレンジして仕事を手に入れて、そこで力尽きたら平匡に癒して貰えばいいのかしら。ま、家事については新たな評定と契約が必要になるだろうけれど。平匡はその辺さほど男尊女卑ではないところが長所ですから。

    このドラマで一つ新しい価値観を生み出せたとしたらそれは自尊感情が低い分、今までの常識に囚われない考えを民主的に新しく考えられる所、具体的に言えば男だから、女だからというジェンダーは少しは調整できるし、力関係もどちらが上というわけではない関係を築けることではないかな。

    それでもお弁当のおかずの数とか部屋の掃除の仕方にケチつけるようなら、みくりの言う通り「小賢しくない」と同義か分からないけど学歴も知識も言い返すボキャブラリーもない呑気で天然で可愛くてすっとぼけた(この世界の片隅でのすずちゃんみたいな?)女の子を平匡は嫁にすればいい。

        当初の予想に反しガッキーが可愛いのに学歴こじらせ女だった当ドラマですが、本当にハッピーエンドだったのか、数年後離婚しちゃわないのかなと一抹の不安を予感させなくもない話だと思いました。夜中だし頭も整理されてないので感想はまた変わるかもだけど、とりあえず感想おわり。幸せな気分な人には水を差すようなことを書いてゴメンナサイ。私、みくりの何倍もこじらせてるもので。