さすらいのハル、異論反論日記

ドラマや映画、漫画やニュースに言いたい放題言わせて頂きます。

教育的英語番組久々にキターーーー

http://www4.nhk.or.jp/100otona/ 

       私の本職は英語を教えることなんだけど、英語を勉強するのに良い教材として有名なドラマが幾つかある。最も頻繁に挙がるのは「friends」、実際私もこのドラマを連続10時間見続けた時には飛躍的に英語力が上がった。friends見ている最中、家に母の知り合いのオーストラリア人から電話がかかってきて、流暢に英語を話す自分にビックリしたことがある。あと、恋愛ものはERのような医療もの、刑事ものや弁護士ものと違い、専門用語が出てこないので学習には適切と言われている。ファン層の厚い「sex and the city」「gosshipgirl」なんかもこのうちに入るだろう。

     ただ、これらのドラマを見たことがある人はご存知だろうが、まず下ネタと多少のお色気シーンに直面することなる。まあ、だからこそ勉強のモチベーションが上がるんだけど。それに、恋愛ドラマが好きじゃない人には苦行以外の何物でもない。NHKでもさすがにこれらは放映していないしね。

     だから、人にオススメできて英語学習で頼りになるのはNHK教育の「コドモ枠」と私が勝手に読んでいるアメリカンドラマの数々だ。私が小・中学生のころやっていたのは「フルハウス」で、かなり長寿番組だったし、出演者のうち最初は赤ちゃんだったオルセン姉妹が成長するにつれて彼女たちを主人公にした青春ドラマが次々とコドモ枠で放映されてたっけ。フルハウスは名作だし再放送されたら今の子たちにもオススメできるのに。私と弟が大好きだったのは「アルフ」というコメディで茶色い豚のような猪のような宇宙人が平和な家庭に住んでるという話だった。アルフは超毒舌で、よくある「ほっこり良い話」じゃない所が大好きだったな。

     さて、最近のコドモ枠も一応チェックはしていた。何とか勉強に活かせそうなのは「iCarly」というウェブ番組を作ってる女の子の番組だったが、放送終了してしまった。後番組で今も続いてる「サムアンドキャット」というのを見て「キャットを演ってるアリアナ・グランデって子は英語でも随分トロい喋り方するなあー」と思っていたら、後で歌手でアメリカの超人気アイドル(?) だって知りすごく驚いた。そんな中、久しぶりにコドモ枠に新しい番組が採用されるらしい、と知り昨日見てみたら大当たり!「高校生になるまえにしたい100のこと」っていうタイトルの番組だったと思うけど、教育的要素を全て兼ね備えているのだ。

  (1) アメリカの学校生活が分かる。でもイジメとかに言及しすぎない。(グリーは大好きだけどイジメや妊娠やゲイの問題など盛り沢山すぎる)

   (2) 主人公が女子なのはよくあることだが、女子目線になりすぎず、男子が見ても飽きない。

    (3) 英語が速すぎない、でもドラマ特有の造語とか専門用語は少なめ。

    (4)恋愛要素が少ないので安心して家族の前で見られる、また英語副音声で見れば勉強しているように見える。

 (5) 話がかなり単純でドタバタコメディなので別に英語が分からなくてもそれなりに推測できるし楽しめる。

    以上、小・中学生にもオススメできるポイントでした。お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんも「英語教育なんとかしなきゃ、塾行かせなきゃ」とか言ってる暇があったら水曜日にテレビ付けて一緒に見てあげて下さい。大人には少し物足りないんだけどね。あくまで英語を勉強する手段として割り切るように。ちなみコドモ枠は水曜日の19:25〜と土曜日の18:25〜ですよ。この番組は水曜日です。うちのブルーレイは録画しても副音声が出なくて日本語でしか見られませんでした。なんとかしてほしい!他のうちはどうだか分かりませんが、メインのテレビの音声切換ボタンと字幕ボタンを駆使すれば古い器械でも英語で同番組を見られます。副音声➡︎英語 か、副音声➡︎英語+字幕➡︎日本語が英語学習には効果的だと思います。録画できる人は吹替一回、英語のみ一回ずつという方法もあります。私はビデオデッキ時代、字幕機能などなかったのでこの方法で英検準一級取りました。

   英検を受けようと思っている中学生諸君、留学に興味がある人、英語の授業はキライだけどアメリカには興味がある人、久々にいい感じの番組が始まったよ〜!NHK、でかしたグッジョブ!

    

     

 

朝ドラのテーマが発達障害かー。

  10月の放送開始から惰性で見ていた「べっぴんさん」だが、ここ数回でドキッとするテーマが浮上することがあり、ツイッターで呟いてみたところ、同じことを考える人はいたようで何度かリツイートされた。その懸念の集大成が12/7の回でクローズアップされそれなりに解決をみたらしい。そのテーマとはももいろクローバーの「良子ちゃん」の息子の「龍ちゃん」が保育園の先生方から「おたくのお子さんはお預かりできません。」と告げられるところから始まった。龍ちゃんは家でも、キアリスのお店でもじっとしていられない。お店の客に空気を読まず自分のことをべらべら話しかける。お店の名刺に落書きして叱られる。この症状、心理学をすこしでもかじったことがある人ならご存知、明らかに発達障害のうちのADHDだ。

    私の疑問はアメリカの精神科医のマニュアルで最近改訂されたDSMー5まで存在しなかった発達障害という概念が今までどう扱われてきたのだろうということである。その答えを少しおとぎ話的であるけれど今日のべっぴんさんで見た。結論。恐らく、今はない、ご近所さん、周りの人たちのさりげないおせっかいがこれらの特性の人たちを助けたのだろう。特に印象に残ったのはすみれの昔からのお手伝いさんであるキヨさんの台詞「人の何倍も手のかかる子はおるんです。(龍ちゃんの父親:どないしたらよろしいやろか) 何倍も手をかけてあげたらええんです。まわりに何人も大人がおるでしょ?誰が親や、じゃなくてみんなで育てるんです。」もう号泣です。昔の人はそんなに優しかったの?まさかあー、意地悪な人だっていたでしょ?キヨさんいい人過ぎですよ。すみれが天使のように育ったのもキヨさんのおかげですね、きっと。すみれも良子ちゃんとお店のスタッフに向かって「みんなで手をかけて行こう。そういう子はきっと人より幸せになるんやないかな。」と諭し龍ちゃんも暖かく見守られることになる。その台詞の後に龍ちゃんがおとなしめになるのはちょっと出来すぎた演出だけども。

     このエピソードを見た後、私はある国民的人気者のことを思い出した。そう、フーテンの寅さんこと車寅次郎。彼も学校の授業についてゆけず授業妨害などをして中学を中退している。しかしおいちゃん、おばちゃん、さくら、ヒロシ、タコ社長、御前様、柴又商店街の皆さんなどの暖かい人に囲まれて、でも時には大げんかしつつ彼なりの幸せを追求したし、真面目に働き立身出世が幸せだと自分に言い聞かせていた多くの日本人たちが寅さんの自由闊達な(だけど少し物悲しい)人生を観に正月盆に映画館へ通ったのだ。

     今だって「寅さんシリーズ大好き」って人は多いと思うし、古き良き昭和の文化として賛美されている作品だが、あなたの目の前に龍ちゃんがいたら、つまり電車の中やスーパーで走り回ってぎゃあぎゃあ騒いでいたら、キヨさんのように「みんなでこの子に手をかけて育ててあげよう」と思えるだろうか?確かに学校には発達障害の子を支援する人員が加配されたらしいけど、以前私が教育委員会に問い合わせたところ、「対象児童は自閉症児が多いですね。トイレなどの介助をして頂くことになります。」と言われた。親が我が子を発達障害で特別な配慮を受ける、しかも自閉症と同じ扱い(別に自閉症を悪く言ってる訳ではないですが、出来ることや配慮の種類は別だと思うので) になることを拒絶しているのかもしれない。でも、キヨさんの言うとおりせっかく小学校をあげて龍ちゃんを受け入れる風潮になってきたのであれば、任せてしまって気楽になればいいのに、今回のべっぴんさんで少しは意識改革が進めばいいのにね、と思ったのでした。

    ていうか、今日「地味にスゴイ!河野悦子」最終回の日だー!そっちのほうがハラハラするよ!真面目なこと言ってる場合じゃなかったわ。

       

恋ダンスはいじめを無くす!?

https://youtu.be/loDSHuiaR2A

初めてリンクを貼ってみました。恋ダンスを知ってダウンロードしたのは第1話再放送直後だったと思う。昔からモー娘。とかのナンセンスな踊りを見たりマネたりするのは好きだったが、今回は私が受け持っている生徒さんがダンス歴があると聞いて、ぜひ彼女の意見を聴きたいと思ったから。それにこれが踊れたら勉強は苦手気味の彼女が自信を持ってくれると思ったから。

   案の定、中学では恋ダンスが大流行りなんだそうな。あのドラマを中学生が見てどう感じるのかは別の意味で興味があるけれど。話題はダンスだ。一見PVを見ると、簡単そうな振り付け部分もあるが頭と手と足を同時に動かす難易度の高い技がそこかしこに散りばめられている。特にラストは見ただけじゃ無理ってものです。youtubeを見ると解説動画などもあって、なんか東進ハイスクール受験サプリを受講してるみたいな気持ちになる。

     いっとき、ゆとり教育のかけっこはみんなで手を繋いでゴールはいかがなものか、という議論があったが、恋ダンスはその点運動神経の差が容赦なく晒される造りになっている。かけっこの速い子が運動会の時だけヒーローなったように、休み時間に恋ダンスをするとき、勿論ダンスの経験がある子がリードするだろうが、いつもは大人しく出来ないADHDの子が活躍するかもしれないし、頭の良い子が歌詞を完全暗記するかもしれないし、音感のいい子が振り付けのときメロディーを歌ってくれるかもしれない。

       社会が停滞する時それをぶち破ってくれるものはサッカー・セックス・ダンスと言ったのは90年代の宮台真司先生だったっけ。記憶間違っているかもしれないけど。ちょうど中学1・2年は期末テストも終わって中だるみな時。暇だからクラスのムカつくあの子をハブっちゃおう(死語?)とか、なりかねない時期だと思う。そんな時のたかが恋ダンスされど恋ダンス。こんな単純な仕掛けで思春期男子女子(主に女子かな)の気が逸れるなら、学校へのスマホ持ち込みくらい許容されても良いんじゃないですか。それとも、ドラマが先生方のハートを射抜いて来年の5月くらいの運動会のプログラムに恋ダンスが採用されたりして。まさかね。

 

色紙は10年寝かせて熟成?

 土曜日に年に数回のレベルで鬱になった。助けを求めて色々なところに電話をかけまくった。しかし、気まぐれで鬱になる中年に手を差し伸べてくれる優しいひとなどそうはいない。皆さん日々の生活で忙しいのだから。そこで唯一相談にのってくれたカウンセラーさんが「今まで私が仕事で助けた人たちのことを思い出して。彼らはあなたのことを大切に想ってくれているのだから。」と言ってくれて、そうかなあとなんとなくその意見は保留していた。

    しかしさっき、ふと思い立って昔の同僚のA君の名前でfacebookでも検索してみるか?と思い、仕事が異動になったとき貰った色紙を本棚から引っ張り出してみた。明らかに同僚A君が勝手に思い立って彼なりの善意から皆に強要した色紙。10年間、気恥ずかしさと仕事の時の辛さを思い出すので本棚に入れっぱなしにして決して見ることはなかったのだけれど。久しぶりにみる色紙の名前は覚えている人も忘れてしまった人もいる。申し訳ない、名前忘れてゴメン!コメントは「〇〇に異動になっても頑張ってください。」の〇〇が間違ってて、ちげーよ!と突っ込みを入れたくなるものもあるし、そもそもみんな「異動」の漢字が「移動」になってるし。「今までありがとうございました。これからも頑張ってください。」と殴り書きされていて無理矢理書かされた感のあるのもある。でも、中には私が無我夢中で決行した研修旅行のことを感謝しているとのコメントや、私自身忘れてたけど勤務時間外に資格試験の講座を開き、無事おかげで合格しましたという話も載っていて、なんか10年も前のことなのだけど涙が込み上げてきた。私も少しは人の役に立つこともあったんだな。あのときは辛すぎて異動願いを出して、もうこんな職場イヤだと喚き散らしてたっけ。異動が決まったときも周りの人たちは迷惑な奴が居なくなってせいせいしたって雰囲気がひしひしと伝わってきて、別れを惜しんでくれた同僚はA君だけだったのに。そんなときあの色紙を貰ったのだ。

    私の人生哲学は一期一会なので、色紙なんて無用の長物だと思っていた。しかし、そんなモノでもワインやウイスキーのように熟成されて私だけのための素敵な詩としてブーメランみたいに戻ってくることもあるんだな、としみじみしてしまった。本来色紙の中から探したかったA君のフルネームは分からずじまいだったけどね。

学歴は幸せを呼び込まない。でもさ・・・

       最近、LINEで小中学校の友人と繋がる機会があった。彼女には今春高校受験の娘さんがいて、その地域のトップ校に入れる偏差値なんだー♩と自慢された。それはいいのだけど、その娘さんはトップ校には行かずに地元の普通の進学校に行って美容師になりたいのだそうな。私の友人は人格的にも高潔で素晴らしい人だからけなす意図は全くないが、シングルマザーで所得も決して高くはないと思われる。周りにも学術的な興味を掻き立てられるような環境や交友関係はないと思う。娘さんも家計を心配して大学進学を諦めてしまったのかもしれない。こういう子のことをマイルドヤンキーっていうのかな。まだおしめをしてハイハイしていた時に会っただけの女の子のことで何故無関係の私がやきもきしなければいけないのだろう。

      対照的に私はいじめとかに遭ってた小中学生時代に、親から「低俗ないじめる連中と離れられるからとにかく勉強して学年トップ数名に入って偏差値の高い学校に行きなさい。そうすればもういじめられることはなくなるから。」と多少ズレた洗脳を受け、本当に勉強をしてそれなりの学歴をつけた。県内有数の女子高でも日本で多少名が知られた大学でも私は自分の性格や外見を周りに合わせることはできなかったけど、親の言うとおりもういじめられることはなかった。職場ではさすがにハラスメントぎりぎりのことはあったけれども。

    先のブログに書いた「逃げ恥」の星野源演じる平匡さんは京大卒のITエンジニアという設定だが、私は彼の方に少し感情移入している。学歴が一流だとしても幸せがもれなくついてくるわけではない。幸せの鍵は人間関係の中にあるわけじゃないという「プロの独身」の哲学にも共感できる。お金のチカラは偉大だ。幸せはお金で買えないかもしれないけれど、手作りのモノを買うのだって、美味しいものを食べることだって、旅行とか習い事だって、お金を払うことで誰かと繋がるための媒介にはなる。そもそも平匡さんがみくりに出会えたのは家事代行の給料というお金のチカラじゃないか。みくりだって家事とカウンセリングという彼女の培ったスキルに対価をもらっているだけで、そこから少し給料以上の愛っぽいものが生じているというところが世の中の女子をむずキュンさせているわけだから。

     勉強を教えるという私の今の仕事にもみくりと共通点はある。お金をもらってお父さんやお母さんが教えられない勉強を教える、時には教養という親によっては持ってない環境をシェアしあう、親も気づいてないかもしれない一人一人の個性を見つけ出して褒める、人間なので合う合わないがあるのは当然だが、時には時給以上に愛を注ぐ場合だってある。仕事時間外にその子が好きな「君の名は」や「聲の形」を観たり。(後者は原作だけ読んだだけだけど)。仕事ではない時間に「この子にはどう説得したらヤル気を出してくれるかなあ」と思索にふけったり。ヤル気スイッチとか言ってる大手塾の経営者、個々の労働者の努力の上でおたくの儲けが成り立ってるってこと忘れるなよ!これを書いてて思い出したけど「ビリギャル」の先生なんか、仕事の大半はこっちの方に割いて大儲けしているじゃん。金八先生だってGTOだって生徒思いの良い先生なんだろうけど給料もらっているんだよ。

   前述のマイルドヤンキー女子は現代のオンナノコの進化系なのだろうか。私の考え方が過去の遺物?だって、オンナノコに学歴なんていらないってガッキーが証明しているものね。必要なものは聴く力と笑顔と恋ダンスか?確かに恋ダンスをyoutubeを一通り見て真似したけど超難しかったよ。特に首を横⇨下に振りながら手は肩に交互に置くところ、運動音痴には絶対ムリ!ガッキー大したもんだ。オンナノコには運動神経も必要なんですね。ひと昔だったらフェミニストの先生方が激怒しそうな世相だけれど、なぜ上野千鶴子先生や本田由紀先生は表に出てこないんだろう?なぜ自立した女の声代表だと思ってたジェーン・スーさんはこのドラマと漫画にどハマりしているのか?やはりみくりも友人の娘さんも2016年仕様ニューモデルだからなの?とりあえずまだ半分ちょいしか見ていないドラマと原作漫画を読むところからはじめるとするか。

        

     

    

地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子はホントにスゴイドラマだ!

 今「逃げ恥」が世間を騒がせていて「逃げ恥ロス」とか言われているけれど、私の方は「えっちゃんロス」なのだ。といっても、第1話〜第5話と先週の分しか見ていないのだけど。

    TBSラジオ文化系トークラジオLife」に投稿して私の意見を取りあげてもらったけれど、逃げ恥のガッキーはまさに男の憧れで、専業主婦のハードルを上げてしまったと思う。同ラジオ放送ではコメディだから割り切って楽しんで観ようという意見が多数派だったが、こんなに社会現象になったらそんなことは言っていられない。可愛くて家事も上手な、しかも臨床心理士のみくりが自己肯定感の低い京大卒の平匡さんを癒すという「仕事」をする話なのだから。学歴も容姿も家事スキルも低めな専業主婦願望の若い女の子はこの先どうしたらいいのだろう?むずキュンとか言ってる場合か?現実を見ろ!周りの結婚できないコミュ障の男に「僕と契約結婚してくれませんか?」って言われたらどうするんだ?

      しかし「校閲ガール・河野悦子」は頑張る意欲のある女子に元気をくれるサプリメントみたいなドラマだ。しかもファッションをサブテーマにしているのとキャプションの多用や着せ替え人形みたいな画を使った演出のおかげで漫画とドラマのいいとこ取りみたいな楽しみがある。

    少女漫画みたいなドラマだけれど、主人公・石原さとみ扮するえっちゃんは男にも女にも平等に容赦無い。相手が上司だろうと憧れのスタイリストさんだろうと、恋をした相手だろうと言いたい事はきっちり言う。えっちゃんの台詞を借りれば「なんかこう、性分っていうか、頭と口が直結してるっていうか、なんか考えていることが口をついて出ちゃうんだよね。なんでなんだろう。」ドラマの主人公の性格設定に、実は精神医学的にやや問題アリな特性を活かすことは今に始まったことではないが、たぶんえっちゃんの性格は発達障害が反映されていると思う。ファッション雑誌「Lassy」への異常なまでの固執と暗記力とか、空気を全く読まずに言いたい事を言ってしまい後悔したり謝ったりするところなどは発達障害の特性と言われても違和感はない。まあこちらも石原さとみが可愛過ぎるから許されるんだけど。

    このドラマで私の心を鷲掴みにしたのは菅田くんではなく編集者の貝塚タコ」八郎。彼が現実社会の良識代表としてえっちゃんと対峙するのだ。第5話の彼の名台詞「何でもかんでも口に出しゃ良いってもんじゃねえんだぞ。それが正しいことであったとしても。」には感服いたしました。ははーっ、仰る通りでございます。

         放っておけば社会から抹殺される運命にあるえっちゃんこと河野悦子が、持ち前の明るさと努力と発達障害にしばしば見られる異常なまでの集中力をフルに発揮して校閲の仕事及び「事実確認」に没頭する様子は観ていて痛快極まりない。たぶん部長や校閲部の仲間に恵まれたという事情もあるんだろうな。これこそ、フィクションの醍醐味。一見、普通のお仕事ドラマと捉えられているけれど、「河野悦子」はハンデだらけの女の子が社会に受け入れられ生き残る奇跡のお話だと思う。来週えっちゃんは憧れのLassyエディターとしての夢が叶うらしいけど、たぶん校閲に自分の生きがいを見出すんだろうな。とにかく逃げ恥ばかりクローズアップされているけどNHKさんもハートネットTVあたりでこのドラマのことも取り上げて欲しいし、世間もこのドラマをもっと高く評価するべきなのではないだろうか。

逃げ恥と移民問題

 

今ネットが繋がらない。経年劣化によりモデムが壊れてしまったらしい。そんな不自由な中、いつもなら思ったことをツイッターで吐き出すところだが、行き場のない想いを140字以上でしたためたくてブログの原稿を書いてみようと思い立ったのである。そのきっかけは今世間を賑わしている「逃げるは始めだが悪くない」通称「逃げ恥」を見ていたからである。基本、私はこのドラマに関して深く考えないようなスタンスで観ることにしている。単に漫画のように可愛いガッキーを愛で、値段も抑えめで真似しやすそうなファッションを鑑賞するため。
しかし昨日の逃げ恥では少子化問題、自己肯定感が低い男の問題を扱っていたが、一晩考えてある結論に辿り着いた。「俺もみくりが欲しい!」男の解決策は移民政策に直結しているではないか!と。私は数年間地域の日本語教室で外国人に日本語を教えてきた。星野源とガッキーのような10歳位以上の年の差カップルが如何に多いことか。このような異文化カップルの話については漫画の「中国嫁日記」等で既に扱われているテーマでもあるし、「Youは何しに日本へ」の地方の外国人を探すロケを見ればフィリピンや中国人の働き者の妻たちの姿を見つけることができるだろう。彼女たちは筑前煮や炊き込みご飯こそ作れないかもしれないが、持ち前の明るさと非日常感で非モテ男の自己肯定感を癒してくれ、少子化解消に一役買ってくれるのである。真面目な彼女たちの中には工場やホテルのメイドとしてパートまで出てくれる人もいる。男たちはどうやって彼女たちを見つけてきたのかはフィリピンパブのようなところで出会いがあったのかもしれないし、斡旋業者や先達外国人妻による紹介があったのかもしれないし、私が聞く筋合いではないので実際のところはわからない。でも、斡旋だなんて、まさに契約結婚そのものではないか。
契約結婚と家事労働。労働と愛情の線引き。このドラマは無心で見ようとしても色々な想像を掻き立てられる。そもそも本物の家事を労働としているプロの家政婦さん達はこのドラマのことをどう思っているのだろう。顔が可愛い家政婦さんは恋愛対象となり雇用主と結婚、なんてことが普通にあるのだろうか。「家政婦のミタ」でも子供達はミタに愛情をよせていたけど彼女はプロ精神でそれをはねつけていたではないか。
昨日の台詞で印象的だったのは「ユリちゃん」の「産休制度が充実しているのは会社がしっかりしている証拠。私は税金を払ってるもん。私の分も産んでくれて嬉しいわ。」というくだり。彼女の台詞はいつも的を射ていて一番傾聴に値する。このドラマをただのみくりと平匡さんのむずキュン」にしないスパイスとなっている。私も民間企業、公務員として産休制度を見てきたが、民間企業で皆から人望が厚い女性社員が妊娠したとたん解雇されたときは、私は独身を貫く覚悟であったにもかかわらず、一年で退社を決意した。ただ、産休制度で今までいる社員にしわ寄せがいくことは事実。ユリちゃんはそのことをどうやり過ごしてきたのだろう。私は先輩から「あなたも子供を産んだら私のように後輩に仕事を押し付けちゃいなさい。」という非生産的なアドバイスを頂いた。そんなことできるわけないじゃん!特に女性社員は後輩女性に仕事を頼みやすいことも、女性同士助け合っていることも事実。働くお母さんのサポートをしてそのお礼にケーキや焼き菓子を貰って、本当に10キロ太っっちゃったよ。そういう独身社員のため、そして無職のニートや病気がちでフルで働けない人(まさに今の私)のために、ベビーシッターや保育士以外にも働くお母さんの隙間を埋めるための労働市場が増えるといいなと思ったのでした。