さすらいのハル、異論反論日記

ドラマや映画、漫画やニュースに言いたい放題言わせて頂きます。

久しぶりに書いてみました。

   1年前鬱っぽくなってから、助けてくれた方々よりブログは書かないように、という助言のもと、ブログを辞めていました。

     その一年間、たくさんの事がありました。嬉しいこともショックなこともどん底なことも。

私のブログは仕事の話など中心に書いていたと思うので、久しぶりに書いてみます。今私はいわゆる中年女性です。ラジオ番組のパーソナリティでジェーン=スーさんという方がいてよく番組を聞くのですが、彼女と似た境遇です。そんな私ですが、仕事は辛うじてやり続けていましたが40歳過ぎて、失業し、再就職しようとしています。

   どうやら40代の女性というのは、子育てひと段落して、再び働こうか、と思うタイミングらしいです。私は大卒、幾つかの仕事の資格を持っていますが、実際に出ている求人はスーパー、コンビニの店員や裏方、清掃員、介護など、今までのキャリアが帳消しになるものばかりらしいです。

     私は、別に年収数百万とか、社会に貢献できる尊い仕事とか言っているわけではないのです。

ただ、私が働き始めたころと比べると、ブラックな仕事が増えたし、人間の暖かみを感じる仕事が減ったと思います。ある英会話チェーンはいわゆるワンオペ、というやつで、公文のイメージですが、時給千円かそこらで働きます。それはいいのですが、たった一人で、事務員、クレーム処理、そして最も重要な講師としての仕事、ネイティヴなど外部講師の世話と打ち合わせ等するそうです。面接してみると、いつものcliché( 常套句) ですけど、ありがうというお客様の声で頑張れる、そうです。うわーーーーーーウザい!! 講師の他に助手か教室長がいなかったら病気や怪我や地震等の緊急時にどうすんの!? 

    学習塾も様変わりしました。今までは少なくとも面と向かった授業というのがメインでしたが某林先生の予備校をきっかけにネットでの配信授業か、一対一の個人指導という両極化が進んでいるイメージです。やはり講師の人件費が最も経営の邪魔らしいので。ネットは所得に関係なく平等にプロの授業が受けられる良い機会ですが、私はこの仕事は美容師さんやマッサージ師と同じで、唯一残された、人間でなければ出来ない、AIには無理な仕事の一つだと思っています。学校の教諭も同じですが。

     ネットで授業が受けられるなんて、昔からしたら夢のような環境です。確かに独学でもいいけど、やる気の触媒とか行動させるきっかけはやはり人間であってほしい。実際の教室で生の人間と顔を突き合わせて、直に質問を受けるという余地を残すべきだと思っています。学習塾は確かに月謝が高いのがネックですけどね。それこそ、教育分野も、指定する教育機関に行けば国民健康保険のように何割負担にするとか、バウチャー制度にするとかあっても良いと思うのですけど。

    

  とにかく中年女性は就職の鬼門、って皆さん常識だったのでしょうかね。私はずっと契約社員というかパートだったので、管理職にもなれないしなりたくないし、大学生アルバイトがメインの仕事では邪魔な存在、世の中でいらない人になっちゃったのかなあ。現代の中年女性の皆さん、特に男女雇用機会均等法以後生まれで、男子より高学歴、正社員でバリキャリだったけど仕事を辞めざるを得なかったかつてのエリート女子のみんな、私と同じような苦しい想いをしていらっしゃるのですか?

     私は独身だけど、子育てをされたている方にとって、受験と大学教育など今までの勉強と努力ってなんのためにあったのでしょうかね?スキルを活かせる仕事復帰できないなら、何のためにいままで頑張ったんでしょう。女は子育てだけすればいいと世の中が押し付けたいのなら、昔あったような良妻賢母のためのお裁縫とお料理の学校を安い学費で復活させればいいんじゃないかと思うのだけども。

     働き方改革って・・・・・・女性の活躍って・・・・人手不足ってブラックな労働環境、昔でいう3K(汚い、キツイとかでしたっけ) を無視してるだけじゃない?  やっぱりブログは止めた方がいいのかな。

給食強要って、やっぱり犯罪ですよね?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170908-00010000-kyousemi-soci

 

私は 1980年代小学校生活をすごしていたのですが、三年生の担任が給食が食べられない私に給食を残すことを許さず、昼休み、5時間目、掃除、放課後とずっと教室の後ろでたべさせられました。

四年の担任からそういうことは無くなりました。でも、三年生の担任の行き過ぎた指導はトラウマになっています。食べられなかったメニューは梅干しと豚の脂身が多かったですかね。野菜はこれのせいで多少食べられるようになったから、本当は感謝すべきなのかもしれません。ただ、ハルさんちは祖父母が洋食屋をやってまして、家族全員和食が食べられないし、作り方もわからないのです。イスラム教徒に豚肉食べろっていってるような気がしますが、言い過ぎですかね。そのくらい梅干しとか和食、特に家庭料理のメニューは私にとって異文化です。納豆はお店に売っているし親に頼らず子供でも作れたから好物ですけどね。給食でゆかりご飯というのを食べて「紫の葉っぱが!?なんかフレグランスな匂いがするし!何故!?」と驚愕しました。しかも一応発達障害の疑いもあるものですから、偏食はものすごい激しいです。最近もリハビリ施設で給食が出ますが、ビクビクしながら食べてます。給食をある程度克服したのは、学校直属の給食室で職員のオバちゃんたちが作ってすぐ出来たてを出す中学校に就職してからです。出来たてって、センター給食より美味しいし、多分2000年代なので子供の好きなメニューを考える栄養士さんが献立を考えてくれてたのかもしれないし、作った人の顔が見えるから「ちゃんと食べないとオバちゃんに悪いしね。」と思ってたかもしれません。

     小学生の生徒によると、現在の担任はビュッフェ方式で「食べられるものを残さない量だけ自分で考えてよそってもらって下さい、と指導している。でも見積もりを間違えたら怒られる。」そうです。今はアレルギーとかもありますし、栄養バランスだって家庭によって違う(夕飯多めとか、貧乏な子は給食で1日分の栄養とるかもしれないし)、よく考えているいい先生ですよね。学校は公表する書類とか情報で成果を問われるから可哀想だけど、子供にそのツケを払わせるのはやめて欲しいし、その辺アバウトなほうがむしろ現代的だと思います。

健康診断の結果 運動が大事なのはわかりますが。

今日健康診断の結果を内科医に聞いて来ました。血圧114、糖尿でも無いし、至って健康。ただし、一つだけ引っかかった項目が。メタボリックシンドローム

   昔、1990年ごろアメリカのCBSのドキュメンタリーで朝ごはんを食べない若者というテーマでやっていたのをみたことがあります。場所はシアトル。まさにスタバとかコーヒー文化のど真ん中ですね。そんな私の当時のライフスタイルは朝ごはんは学校の自販機のコーヒー牛乳と牛乳。昼はパン。スタバが日本上陸してからは私も似たような生活ですし他にも似た方もいるのでは?夜だけガッツリ米と肉を食べる、時に即席ラーメンという生活。そりゃ数十年後メタボになりますよね。

  問題は、医師がやたら「運動をしましょう」と勧めてくること。ちなみに私は精神と肉体の健全化を図るためウォーキングを毎日日課にしています。私は幼少時から運動音痴で何度も嫌な目にあっているので歩く以外の運動はできないのです。太っているから水着を着て水泳もあまりしたくないし、私が住んでいる市では運動施設が部活動系の体育館を除いてあまり発達していません。たぶん民間のジムやスイミングスクールが市に圧力をかけているのじゃないかな、と思います。だからうちの近所のカーブスなんか連日満員です。なぜか駐車場が一杯という。運動するんならチャリか徒歩でいけよ!プールも以前住んでいた市には複数あったのだけど、ここは民間のスイミングスクール兼ジムだらけで入会金に加えて利用料月5、6千円かかるみたいです。しょっちゅう行く訳ではないから一回ワンコインくらいで使えればいいんだけど。

   一応私は弓道の経験があるため、弓道でもやってみようかと思い住んでいる市の弓道場に電話してみました。市体育館職員は普通の対応ですが、弓道連盟とやらの人に繋げてもらいました。申し訳ないけど、電話に出た人、多分ご年配の男性の対応がすごくぶっきらぼう、新しい入門者を歓迎する雰囲気が微塵もない。このままここに行ったら上から目線で酷いこといわれて厭な想いをするんだろうな、という予感がプンプンして「あとで機会がありましたら見学させて頂きます。」と言って電話を切った。

     弓道は武道だから「思いやりをもって優しく楽しく教えましょう」なんて雰囲気じゃないことは初めから知っているのだけど、改めて冷たい声を聴くと哀しい気持ちになりました。弓道自体は美しくて品があって魅力的なスポーツですけどね。そんなスポーツをあんな下品な喋りかたをする人がするんだ、と思うと気分が萎えてしまいました。

     私は勉強がそこそこ得意なので、勉強が苦手な人を見て(学習塾の仕事で成績を上げなければいけないので)「うわー、面倒くさいかもなあ」と思う気持ちは分かります。でも、生きて行くために勉強だって運動だってしなければいけない。ましてや苦手なことを一生懸命克服しようとしている人を冷たくあしらうなんてできません。

     健康診断は全人口行われているわけで、そのたびに「運動しなさい」と一定数の人たちが医師に言われるわけですよね。それで運動しにゆくと酷い仕打ちを受ける、としたらどうしたらいいんでしょうね?まあ、東京など都市部に住んでいる人は一駅ぶん歩くとか方法があるんですけど、私が住んでいる田舎では一駅が6・7キロあったりしますから。今はとりあえず徒歩と自転車で運動の代わりにしています。

      貧乏な人はジムに行くこともできなくて、スポーツの道具も高くて揃えられず、健康的な食事(野菜とタンパク質)より安くて美味しい炭水化物に走る。健康的な生活、なんて一言で済ましますがここにも経済、能力格差がかなり大きくあることは、もっと声高に叫んでも良いのではないかと思います。

     

 

 

過保護のカホコ、思いがけず収穫

私は遊川和彦という脚本家が好きではありません。が、今回の過保護のカホコはちょっとハマりそうな予感がします。今さっきその思いをブログに書いたところ全文消えてしまって、もう一度書くのが面倒なんですが、とりあえず広めたいので簡単にまとめ直しています。まずカホコの一生懸命さと主演の高畑充希ちゃんの全力投球な演技力が相まって、見る人を魅了するんでしょうね。親戚のウザさとか人間の表面的な欺瞞と裏の汚い本音というのをオモテ裏がないカホコと対照的に描きたかったんでしょうけど、今回「糸」ちゃんが親戚のウザさについてはぜんぶブチまけてくれました。糸ちゃんが「べっぴんさん」の喫茶店の不幸な女の子と同一人物なころに気づくのに時間がかかりましたが。

 ひよっこで慶応ボーイを演じている竹内涼真君もこっちの作品のほうがはまり役だと思います。バイトを掛け持ちして苦労人なのに、わりとカホコのことは見捨てずに仕方なく構ってしまう。作中に「そんな子犬みたいな顔すんなよ」という台詞がありますが、まさに。充希ちゃんが仔犬か仔猫みたいに幼くて可愛いったらありゃしない。あの危なっかしい走り方、没頭したときの目がいっちゃってる感じとか、あの泣き方とか演技力がないと無理なんじゃないかなあ。高畑充希ちゃんを観察するだけでも一見の価値ありです。竹内君はそれでいてカホコとラブ、ていう展開に安易に持って行かなそうなのも好感ポイントです。

   今後、カホコがどんな進路を選ぶのか、どんなきっかけで母親と決別できるのか、可愛いのと一生懸命しか取り柄のないカホコが、何をこれからどういうやり方で大人になってゆくのか、ついつい次回が楽しみになっちゃいます。二十代ならまだチャンスはたくさんありますから。

     遊川作品は人間の裏は最低だ、とかトラウマや酷い環境で人生どん底、とか(でもそのそこには優しさがあることも)っていうメッセージが全面に出る所が、ドラマには一縷の望みと癒しを求める私には残酷すぎてちょっと苦手なイメージがあったのですが、今回はカホコ演じる高畑充希ちゃんのパワーでその辺カバーできそうです。「純と愛」みたいに最悪にならなきゃいいんだけどね。

  

   

   

   

いじめ、って一生を通して影響を与えるのだと私は思いますが…

 

トラウマという言葉は嫌いです。まず、昔のことを蒸し返しても進歩がないのは分かっている。でも、一生引きずるしいじめを受けたことがない人にこの恐怖はわからないと思います。

「成績の良い人は、基本陰湿ないじめはしない」説を唱えてみました。スーパーのお局さまとかママ友のいじめとかね。豊田真由子議員は高学歴ですが、この案件は陰湿じゃないし、一人で暴言吐いてる困ったちゃんなだけだし、どちらかというと感情のコントロール面で病院に行かなければいけない事案だと思う。スーパーやママ友のいじめは立件されることはない。「低学歴の一定の人物=いじめに走りやすい」説は結局論理的に説明できないし、論破される。私が間違っているのだろうとは思います。が、現実がそうなっているんです。

    私の理論というより経験で、以下のことを私は現場で見ています。

まず、私を小学校の時いじめた人は小学校で私が苦手な運動や集団行動や機敏なルールへの順応ができていた。担任の先生に気に入られるコツも分かっていた。工作や家庭科もいじめた人はみんな得意だった、でも私は全て苦手だった。だからいじめられた。(のちに発達障害だと誤診される) 

➡︎ 中学校で重要なのは試験の点数と授業への貢献度。逆に私をいじめていた人はゴシップや悪口や人間関係、異性のことや後輩いじめなどに興味関心の中心があった。当然英語や社会の授業でディベートなどについて行けない、(私は家庭教育の関係もあってニュースと教養番組ばかり見ていたので口喧嘩の才能が認められたのと、テストで努力させられて明らかに良い順位がついた。)

➡︎ 親から(特に父親)地元トップ高校に入ったら小学校のときいじめた奴とは一生会わずに生きて行けると刷り込まれる、あと父親は公務員で、同僚はみんなが良い人なわけじゃないけど、高学歴の人間は机の中に残飯やゴミを入れるとか持ち物を壊すとかいうあからさまないじめはしないと繰り返し諭される。

➡︎ 小学校のとき私をいじめた中心人物数名は総じて偏差値が足りなくて高校入学時、遠くの学校に進学したので事実上16歳で本当にお別れすることができた。私はあとは必死で彼らには絶対なれない職種に就こうと努力してみた。 紆余曲折を経て大学入学。彼らから離れるために重要なのは資格の方。ここから学歴はどちらでもいい。あとは実力のみ。私は教員だったから免許制でしたが、体育の意地悪な教員がいても、私の運動能力の無さを馬鹿にしたところで英語の授業に口出しはできないから。

➡︎ いくら求人があるからといって、ただでさえマルチタスクを要求されるコンビニ、スーパーの仕事は向いていないと思います。一応発達障害傾向があるらしいのにマルチタスクはこの障害者がもっとも苦手とするところ。突然の計画変更も然り。クレーマーの客など来ようものなら。しかも初心者。そこにベテランのパートがいるとして、たまたま人をいじめる事を生きがいにする人がいたら私は格好の餌食です。大抵の職員は良い人なのでしょうが、小学校の経験上、いじめがおきる時、普通の優しい人はいじめられる人を簡単に見捨てて、いじめる方の人に加担するのがほとんど、せいぜい傍観者になるだけです。コンビニ、スーパーは応募資格を問いません。昔訣別できたはずの元いじめっ子に(被害者が別の市の赤の他人だとしても) 再会する可能性は、資格付きの専門職の仕事に比べると確実に高いと思うのです。しかも私はお金が欲しいだけでやる気があるわけでもないし、ただでさえ飲み込みが悪い。ぞれら全て攻撃材料になる。

➡︎ あと、仕事がらみで勉強が苦手な子供と接しますが、趣味とか目標がない生徒に限って友人同士の共通の話題もないし、何かに夢中になれる楽しみも、無難な会話の仕方も知らないので、少し暇になるといじめ遊びを始める傾向にあると客観的に思います。話題の中心が「〇〇ムカつくよね」「〇〇付き合ってるらしいよ」など異性関係やクラスの生意気なヤツや後輩いびりに向く。今だったらスマホのLINEを通すんだろうな。ちなみに私は事務連絡以外ラインを絶対にやりません。何か目的を持って働いているならともかく、ただカネのために仕方がなくやってるだけの職場で、しかも何の資格もなく誰でもなれるとしたら、意地が悪くても強いものだけが淘汰されていくような気がして、いじめにあう率が高くなる勘がはたらくのです。理論じゃなくて、勘です。

➡︎ 私自身は小学校の時、周りからも「不細工で聡明でもない可愛げのない子」と思われていたし、自分は多分一生浮かばれないとおもっていました。中学のテストで学年トップ数名に入り全てが逆転したとき人生って何なんだろうと思いましたが、ここで勘違いしちゃったんでしょうね。

➡︎ 勤めている学習塾では「出身校は〇〇です」の一言で親も生徒も黙ります。塾だから仕方ないけど学歴至上主義のバカ親が来た時、親の今までの「このデブ大丈夫?」って感じのあからさまに見下した態度が一変したとき、当事者の私まで「コイツ本当に馬鹿なのでは」と思います。「このデブ」のままでは外の世界ではいじめの対象になりうるんですよ?

結局逆に言うと、偏差値低くてしかも学歴コンプレックスの人の間では、〇〇卒業生でしかもトロい使えない従業員だとしたら、スーパーやファストフード店で五割以上攻撃の対象になる、と思いませんか?

    もし、昔のいじめた奴にあったら、できるだけ優雅で難解な言葉を使って相手の弱点を徹底的に叩きのめすと思います。いじめって、それくらい根が深いものです。経験したことない人にとやかく言われたくないです。しかも治せるものでもないのですよね?ただ、私はいじめた人を「こいつらは頭が悪いから人をいじめる事しか娯楽が無いんだ。」と徹底的に見下すことでいじめから目を逸らして生きてきたんだと思います。学歴差別をしているわけではない。ちなみに私の友人は中卒ですがでバイトから入り飲食関係を極めて今も高級レストラン?で働いている立派な人です。彼女は私をいじめず得意な家庭科で私を助けてくれました。相手をどう見るかはあくまで私をいじめた人リストに入っているかどうかが基準です。

 PTSDって直らないのだろうし、それは戦争体験者を見れば分かるけど、どうしたら寛解して行くんでしょうかね?いじめにあった人って、大人になってどういう人生を歩んでいるんでしょう?忘れて前向きに生きてる人ってどのくらいいるんでしょうね?「私も辛いんです」っていうリプライはいりませんよ。自分のカウンセラーさんか心療内科に行って下さい。

ひよっこにハマってます

 長い文を書くのもどうかと思うので、今日のひよっこについて。不器用で最初なので上手く職場になじめないみね子が、宮本信子扮するオーナーと先輩ウエイトレスと一緒にあんみつを食べるシーンが今日の回にありました。みね子は、営業時間が終わったら、自主練します!すみませんでした!と謝るんだけど、その時の宮本信子のセリフが「仕事はね、お給料を貰ってる時間にだけ一生懸命やればいいのよ。」と有難い一言。まあ、今のご時世、サービス残業ブラック企業だらけですから、その辺を意識して脚本を書いているんだろう(岡田さん、だっけ?) とは思うんですけど、現代人には身にしみる一言でしたよね。私の仕事は5時間準備して、1時間分の給料をもらうのが当たり前な教育産業ですから、オーナー、それはそうなんだけど世の中そんなに甘くない気がします…と言いたい気持ちもあります。やりがいの搾取ってやつ。特に、この先何十年を見据えて、今した苦労が後で専門職として報われるための礎になるのである…的な職人的な専門職はそうですよね。医師とか、教師とか、料理人とか、美容師とか、人に関わる仕事とか。でも、料理人の仕事が機械によるオートメーションに、教師の仕事はネットやフランチャイズ化にとって代わられ給料も激減するのだとしたら、時給だけ働けばいいって割り切らなければ、辛すぎるわけで。

  まあ、言いたいことは色々ありますが、このドラマの好きな所は、美味しそうな食べ物を有村架純ちゃんが旨そうに食べるシーン(孤独じゃないけどグルメ)なところと、宮川アキラ氏作曲による背景音楽にあります。彼が手がけたETVの「クインテット」という子供向けクラシック番組が好きだったけど、ひよっこでも、ギターとかよりも、まあるい木管楽器の音とか、ちょっとレトロな昭和歌謡風なメロディ、吹奏楽出身者なら、ああ自分が昔やった楽器の音がするー…♪( ´θ`)とちょっと嬉しい工夫がしてあって楽しいです。今日はまずそんなところでしょうか。また思う所あったら続き書こうと思います。

英語教育の進歩が、英語嫌いを増やすとしたら?

     定期テストが終わって、結果が出る時期になりました。私の働く塾で起こった出来事です。生徒が定期テストの英語科で悪い点を取って来て、私の教え方が間違っていたと責めました。それは少し当たっていました。教科書の本文中心に教えた(といっても二回だけしか教えるチャンスがなかった)のが裏目に出たのです。八年前までやっていた教員時代、普通定期テストは本文から出題されるという教員間のテスト作成のルールがあったから教科書中心の教え方をした訳ですが、見事に一問も教科書から出題されなかった。そのほかにも理不尽な採点方法があり、私は怒りが久しぶりに爆発しました。
     あくまで私の信念で個人の意見ですが、英語という教科の良いところは、知能が正常範囲内ならば13歳からスタートして(小学生のとき劣等生でも) 頑張れば努力が必ず報われることなんです。教科書から出題しないということは、学校で真面目に教科書を読んで授業を受けている平均的家庭の生徒を見限って、英会話学校などで幼少時からお金をかけた生徒が優遇されることと同義なのではないか。
私が英語を教えている理由は「世の中は不条理だけど努力が報われる世界もほんの少しはある」ことを伝えたいという気持ちがあるからです。自分も良い先生方にそう教わってきたから。自分が学校に勤めて試験を出す側だったときは貰った権力の全てを使って、努力した人が頑張ったぶんだけ報われる試験を作りました。
    社会では人間は時に裏切ることもある。世の中は容姿とか要領の良さしか見てくれないことも多い。もちろんそれらを現実として受け止めるしかないけれど、どんな見た目が不細工でも性格が不器用でも運動が苦手でもテストの点だけは頑張る人間を裏切らない、と考えるのは古いですか?この考え方が間違ってることは知ってます。そもそも暗記などの知的能力だって個人差があり恵まれている人とそうでない人がいることも分かっている。でも努力が報われることを一瞬でも思春期だけでも真実にするのが私の仕事なんです。50点の人が頑張ったら65点取れるようにしてあげたっていいじゃないですか。

   実はその怒りの対象となった中学の問題は英語の専門家として見れば良い問題でした。

具体的に言うと「好きな季節は何ですか。その理由は?」という問題が出題されました。質問自体はコミュニケーションツールとして悪くない。でも、秋が好きで紅葉のことを書きたい中学二年生はどうすればいいだろう?紅葉turning of the leaves は二年生では習いません。私は生徒に「嘘でも良いから理由の答えが書ける文章を作れるか判断してから好きな季節を決めなさい。」と指示しました。例えば冬が好きなことにする。理由は「スキーできるから。雪が好きだから。」なら満点の答えが書ける。ちなみに私はスキーが大嫌いだけど、それが私の模範回答です。夏でも「プールで泳ぐ事ができます。海が好きです。」なら小学校低学年レベルの馬鹿っぽい作文だけど満点。私に抗議した生徒は冬なら雪合戦が好きだそうです。でも雪合戦「snow ball fight」を中2の英語では表現できない。だから、嘘でもスキーと書いておくしかない。春が好きな人は中学二年生のレベルでは「お花見」「桜」「だんだん暖かくなる」といった表現ができません。コミュニケーションと名のつくものは全部そんな調子なので、感受性豊かで真面目で言いたい意見があればあるほど英語で表現できないもどかしさに苦しむことになる。

     最近の英語教育とその目標に言えることですが「相手を喜ばせるような正解を、見え透いた嘘でも何でも良いから、文法的な要点は押さえつつ適当にペラペラ言えれば、または書ければ点が取れる教科」に成り下がりつつあるように思えるのです。もちろん本当に言いたい事を表現したい優秀な生徒はボキャブラリーを増やすために辞書を引いたり、先生に質問したり、ラジオ講座を聴いたり、自分なりの方法で能力を高めるのでしょう。私自身はテストの点数のためなら平気で嘘をつく狡い人間です。でも真面目で口下手な人、嘘つきじゃ無い人はせっかく英語の知識があっても、英語以前の問題でつまづくかもしれないし、英語学習が途上ならば中途半端な文しか作れない。結果点数を落とすことになります。「コミュニケーション英語」(高校の教科名)という名前の教科なら仕方ありません。でも中学の普段の学習成果を測る指標である中間テスト期末テストでは英文法と教科書本文を出題するように研修現場で叩き込まれているのではなかったか。最近は考え方が変わったのかもしれませんし、学習指導要領をちゃんと読まない私も悪いです。でも教科書引用抜きの問題を出すならば、成績が良くなかった生徒を救済する措置をすべきではないでしょうか。何しろ、通知表の結果は内申書に載り、入学試験の結果を左右するのだから。器用な嘘つきがコミュニケーション上手で、そうじゃない人をコミュ障と呼ぶのだとしたら、世の中って何なんでしょうね。

    しかも、二十年前は単に構文や単語をたくさん覚えているかなど、努力を測る道具でもあった英語という教科が、そこから努力の要素を削り取られるのだとしたら、教科としての英語の存在意義がますます危うくなる気がするのです。私は英会話が好きですが、嫌いな人だって英語とは受験までお付き合いして行かなければならない。もちろん語彙と文法はないがしろにされはしないでしょう。しかし英語にそれほど興味関心を持たない生徒にとって、努力が報われないテストのせいで彼らがますます英語嫌いになって欲しくないと願うばかりです。